はてなの昔。

私がはてなで絡まれていたのは2008年ごろでもう12年にもなるか、

大昔やん、忘れてるはずだよ、

不愉快だったのは覚えてたんだけど、何があったかは忘れていた。

大昔の日記を読むと思い出したわ。

わけ知ったように上から目線でトラックバックを送ってくる割には

まともに対話することも出来ない、

おかしなとりまきが多いけれど

そのとりまきも特に何が言いたいわけでもない、

ただただ絡みたいだけの連中であった。

「タコポンず」だったかが何故かねちねちと説教をしてきて、

しかし何を説教されたのか、今でもさっぱりわからん。

本人たちも実のところ何が言いたいのかわかってなかったんだろう。

この「タコポンす」は今調べると2018年で更新が止まっているんで

他のアカウントに乗り換えたんじゃないかな。

ネットで自分を「善人」に設定したようだったが、

性格の悪さはあまり隠せていなかった。結局、ネットでも素がでるわ。

「消毒がどうした」を思い出させた人は私の約2年後くらいに絡まれて

よくまあ、そんなに長らく他人に絡めたもんだな、と感心している。

ブコメでまとめていた一覧を見て感じるのはただただ「消毒」と名乗った人間の

どうしようもない不幸で、ここまで自分の不幸で他人に当り散らせるとは

その不幸は不治の病だったんだろうと気の毒に思う。

人間は決して手に入らないものを痛切に欲しがるとき不幸になるが、

「消毒」と名乗った人間は何かをガツガツとほしがっているのに、

その何かが自分でも見出せていない、

とりあえず他人に噛み付いては何を求めているのか知りたがっているような、

でも手に入らないものが何かを知ってもどうしようもないんじゃないかな。

私がかつて絡んできた彼らに抱いた嫌悪感は、

この独特の臭気を帯びた絶対的「不幸」感だったんだと今はよくわかる。

攻撃的な不幸は見苦しいのだよね。それに迷惑。

自分の不幸くらい自分で決着つければよいのに。

それすら出来ない程度に阿呆なのに、何で私に当り散らすかね、

あほな子供は八つ当たりを自分の親にやりがちだが、

何で私がよその子に当り散らされなければならない、やっぱり意味不明。

彼らは10年以上たった今、少しは幸せになれているか、

なんとなく場所を変えて今はツィッターで管を巻いているような、

かつてのはてなの異様な雰囲気は一部のツィッターに移った気がするな。

そのおかげで私は今も平穏無事に日記をつけ続けている。 

やはり日記はどんなショーもないことでもつけておくべきだな。

大昔を漁って、結構楽しめた。はてなの昔の阿呆が初めて役に立った。

終わり。