日常。

朝日新聞養老孟司氏が寄稿した「人生は不要不急」で、

奥様とお嬢様の「不要不急の贅肉がついた」との段で笑う。

確かに。贅肉は不要不急にもかかわらず、しっかりついてくれるのよね。

私は知らなかったが養老氏は東大医学部卒でお母様が開業医と、

解剖学を専攻したのは精神科の研究室にはくじで外れたからとか。

なかなか昔の大学院はかっとんでおりますな。行く人がほぼいなかったからだろう。

なんとなく養老氏は文学部出身と思っていた。

考えてみれば北杜夫にはじまって加賀乙彦まで、

私は医学部卒の人間の書くものが一番読みやすい。

他人にわかりやすく説明する必要のある職業の人間だからか。

ぱりぱり理系の下の娘曰く「医療系は基本的に文系寄りだよ」と、

「暗記できないと医療系には進めないからね、

だからおねえちゃんのほうが医学部向きだったよ」などと

以前、つい理系に行くなら医学部に行ってくれても良かったのに、と

ぶつくさ言ってしまったときに言い返されてしまった。

私の母方の実家は医療系がほとんどを占めているので何かあると

何故、国立大学医学部に入れる能力を持つ娘たちを

医者にしなかったかと親戚に責められる。

うちの娘たちよりずっと頭の悪い人間が医者になっている、と、知らんがな、

本人たちに言えよ、と思うが、割と本人たちを目の前にすると言えないんだな。

私の実家一族は尺度が学歴なので娘たちの「賢い」は「万能」ですな。

それはともかく、娘の言う「医療系は文系寄り」は腑に落ちる部分がある。

文学の才のある人が多いのはそのせいか。

しかし私は工学部卒の立原道造の詩も好きだったりするので

「文系」「理系」とは本来あいまいなものかもしれない。

そして下の娘の書く文章は意表をつく考え方があったりして面白い。

自分にはないものに私はあこがれるのかもなあ。

上の娘の書く文章は簡潔で正確、申し分のないものである。

これも私にはない能力だ。

話を養老氏に戻して、「人生は不要不急」とは確かに言いえて妙である。

だからこそ、今の状態にストレスを感じるのだなあ。

「ボーっと生きてるんじゃねぇよ!」と叱られることに私はイライラするので

それはたぶん人生がボーっとしているものだと私は考えるからで、

しょっちゅう「それは不要不急か!」といわれると、

もう生きていること自体がしんどくなるこの感じ、

と言ってもコロナで死んで解剖されるのも(そんなことはないが)

どうかと思うので、やはり日常を不要不急のぶつぶつでも書いて発散しよう。

私の思い出し怒りは不要不急の暇つぶしであるな。おわり。