あのときの、あの味は。

ネットの広告でコメダゴディバコラボを見かけ

これは学生の娘のところに行ったときに、一緒に食べに行くのにちょうど良い、

と、娘に連絡すると、研究室の後輩も行きたいと言ってたから気になっていたと

じゃあ、行こうぜ、コメダ、とある日やる気満々でコメダに出かけたところ、

なんと「昨日で終わりましたー!」と、

あまりの展開にオタオタした私は以前からコメダコーヒーゼリーを食べたいと

思っていたにもかかわらず、すっかり忘れてケーキセットを頼んでしまい、

娘が「ママ、ここのケーキは大きいよ」と注意してくれたにもかかわらず、

チョコタルトならば大丈夫だろうと思ったら、私が思う倍以上の大きさだったわ、

コメダ、恐るべし!

あのゴディヴァコラボは食べた人がいるのか、ネットでも「食べ損ねた」、

「え、もう終わってる?」だの、娘の後輩も結局、食べず仕舞いだと、

幻のゴディヴァコラボ、かんばっく。

それはともかく、私が初めてコメダシロノワールなるものを食べたのは

ここ数ヶ月ほど前で、久々に会う友達とランチの約束を取り付けたのに

その日、義実家の不調で右往左往する羽目になり、泣く泣くランチを断って

中途半端な時間に開放されたので、急にランチを取り消したお詫びの電話を

友達にしたところ、「あんた、なんか食べた?」と聞かれ、

そういえば、朝早くからばたばたしてまともに何も口にしていない、

じゃあ、コメダにでも行ってお茶しようよ、と誘ってもらって、

そのときガツガツ食べたシロノワールがたいそう美味しかった。

緊張のあとの疲れがあの甘さで癒されたのは、

たぶん友人が「何か食べた?」と聞いてくれた、

シロノワールのおいしさは半分以上優しさで出来ている!と今になって感謝している。

おばはん同士の連帯は、何かちゃんと食べたか、と聞くことではないか、

自分以外の人間のために動いていると、自分のことが後回しになる。

誰かがちゃんと食べてるか、と確認してくれることで

初めて自分を大事にしなければいけないと気がつく。

おばはんのおばはんとしての真価はこういう点で問われる、と思うのであった。

おばはんは、今のところ大変よき友に恵まれている。

で、ガツガツ食べていたときに聞かされた噂話はほとんど忘れてしまっているという、

実に役立たずなババアであることよ、とあきれている。

なんかいっぱい聞いたんだが、見事に忘れている。

先日、娘にあったとき、地元の噂を

「洗いざらい私に教えなさい」といわれたにもかかわらず、さっぱり。

たぶん、そのうち単発に思い出すんだろうが、まとめてはでないわ。

娘には

「ママは普通にゴディヴァのドリンク飲める人でしょ、わざわざコメダに来なくても」

と言われて、私はたぶんあの時味わった他人に気遣われる優しさの味を

再現したいのだと気がついた。

その上にゴディヴァもつけば良し、と思ったが、世の中、そううまく行かない。

おばはんは、

特に50前後ともなると自分より家族を優先しがちなので気をつけないといけないよ、

と、書き残しておくのであった。

昔の人のいわゆる「血の道」が悪くなるのか、

私も50前後のとき、よく激しい頭痛に悩まされCTもとったわ、、

肩こりだのなんだの、とかくこの時期、不調になりがち、

気をつけようね、、、