ネット雑記。

年末年始恒例、「俺は家族に虐げられている!」増田があがって

何でそれでも家族と付き合うのか不思議。

楽しくない親族は成人したら切っていいんですよ?は一般的ではないのかな。

自称親族に虐げられている側が家族にしがみつくのは

そうすることにメリットがあるからで、

あらためて昨年の元事務次官がした親族殺人を気の毒に思うなあ。

年取った親に当り散らすくらいなら、会わないのも親孝行、

「産んで欲しいなんていってない!」なんてことを言われたら

「じゃあ、死んだら?」と申し訳ないが私は言ってしまいそうだな。

生まれることにも選択権があるように思い込んでるのって、

今までの人生でよほど選択肢に恵まれてきたんだろうと感心する。

一般人には選択権ってそれほど与えられてないんで。

自殺だって簡単には出来ない現実を知らないな、

一番簡単で家族に復讐が出来る方法は電車に飛び込むことだろうが、

何の落ち度もない電車の運転手にトラウマを植え付けてでもやりたいか

ってことで、ここは富士の樹海かね、と思うが

それもその周辺に住む人間には迷惑でしかない。

人間、生きていることそのものが迷惑かもしれないが、

自分勝手に死ぬのも迷惑だ。

自分が完璧に満足できないからと自分の出生まで全否定する人は

どうなれば幸せになれるか、

世間一般で幸せに見える状態にあっても、やはり幸せになれない。

生き方そのものが間違っているから。

そもそも「生まれたからだ!」と思うのも大間違い。

この考え方を肯定したらそのへんの産婦人科に飛び込んで

新生児を殺しまくるのが「正義」になる。

以前、障碍者施設で何人もに手をかけた人間がいて

それを肯定する人間がかなりいたのを思い出す。

完全な幸せはないけれど、出来るだけ快適に過ごす権利は誰にでもある。

快適になるにはどうすればよいか、

しょーもなく「生まれたくなんかなかった!」なんて言う暇があれば

快適とは何か、考えたほうが良いと思う。終わり。