雑談。

ネットで冬川智子の漫画の紹介が出ていて、「女子心」は世代を超えているのだなあ、と。
ダーリンが「マスタード・チョコレート」を買ってきてはまって、「あんずのど飴」「水曜日」と続けて読んで
私と娘たちは「水曜日」が気に入ったんだけど、我が家唯一の男性であるダーリンは「水曜日」の「痛さ」が理解できなかったようで、評価が低い。
「どこがいいの?」と聞かれて「いやー、女子だな、と思って」としか私は答えられなかったけれど
下の娘は「女の子ってこういうもんだもの、パパは女の子に期待しすぎ」
上の子は「でも、私、主人公の女の子、あんまり好きじゃない、いろいろ面倒くさすぎ」などと。
同じ評価であっても、違うもんですなあ、、、
「水曜日」の主人公は「鳩ちゃん」と呼ばれているので久世番子さんの「ひねもすハトちゃん」を思い出した。
これは二人の娘絶賛、「中学生女子の生活が赤裸々に!」ってかんじ、私はそれほどでもなかったかな。
冬川智子紹介先では東村アキコさんの「かくかくしかじか」も挙げられていて、このあいだ出た2巻を読んで、何故かダーリンが涙していた。
「書きたいけど、書けない気持ちはよくわかる」と、私は「面倒くさい人だったんだな」の感想だったんで
真面目に生きる人というのは、私のように不真面目な人間が思うよりも辛い人生を生きているのかな、とか思った。
私は書きたいけど、書けない、何かをしたいけど、できない、の意識を持ったことがないので(つまり、それは「頭が悪い」という)
その身につまされる辛さは理解できなかった。ごめんね、能天気で。
で、いきなり、話は別の日記に飛ぶ。
先程、「二人目がうみたいけど、条件が揃わないので産まない」的な人に絡まれた話を読んで、
この絡んでくる人、大丈夫かな?とちょっと心配になった。
本人がものすごい努力家に多いタイプで、実際、その努力である程度いろんなことを達成してきたんで
高すぎる理想を抱いてそれが達成する条件(を、自分が設定している)が揃わないことにイライラして、その条件に近い人に当り散らす。
年をとった時、その「理想を持つ自分」をうまく諦めないと、心を病む可能性も、あったりして。
「うつ」になったりして、本当に本人としては辛い、生きているのが辛い、でも当り散らされた方は迷惑。
相手にするととことん「甘えて」来る人なので、どこかで突っぱねて、関係を切るぐらいのことをしないと
ずっと、不愉快な思いをするかも。
でも、それができなさそうな、優しい人に無意識に甘えているんだよね、、人間って、本当に難しい。
「女子」の関係は年齢に関わらず、難しい、ということで。