悼むことなど。

昨年の大ヒット曲、米津玄師の「lemon」は今でもMTVによくかかって

この曲を聴くたび、私はいなくなった師を恋う歌詞だろうと思ってきて

中村哲医師が亡くなったあと聞くとことのほか、沁みる。

「夢ならばどれほどよかったでしょう」がそのあまりにもむごい死で

その現実が変わることは、ない。

理不尽な死に対する怒りはいつか迷いと内省に変わる。

私たちは無邪気に偉人の活動と信じていたけれど、現地の人には迷惑だったのか、

これほど根気よくがんばる人はいないというのに、

それが気に入らない人間がいるのか、

一般人の私のような人間に、なにが知らされて、何が知らされなかったのか、

今、生きている偉人であったというのに、何故こんなことが起こったのか、

私の人生にかかわることのない人ではあったが、

いつも心のどこかでこんな人もいる、は私の人を信じる支えであったのに

そんな人が問答無用で殺されてしまう現実をどのように消化すればよいのか、

もうほぼ全国ニュースではその続報は流れないがネットで言葉を拾っている。

案の定、「日本国政府はぁ!」などと早くもその死を都合よく利用する輩もいて

しかし迅速に現地に遺族が行けたのは少なからず政府が協力しないと出来ないだろう、

すばやくご遺体も帰国がかなった事実は非難の余地がない。

憔悴された奥様と緊張と悲しみに張り詰めたお嬢様の美しい顔を見て

ご家族にも深く愛されていた人だったとあらためて思う。

それからアフガニスタンの多くの人がやはり中村医師の死を悼み

国民として恥ずかしいとさえ言う存在は彼のしてきたことに間違いはなかったと、

純粋に信じられる、憎むべきは卑近な無知のみであると、

どこまでも純真な人間はいるのだと、

私は神を信じる人間ではないので、人を信じたい気持ちがいつも強い。

中村医師への尊敬の念はそれだった。

信じるに値する純真な人間はたった一人でもいるのだと、

だから「今でもあなたは私の光」と思う。

中村医師がかの国で作った施設もまた動乱の中で壊されてしまうかもしれない。

何かを作るのには何年もかかるのに壊されるのは一瞬だ、

では何かをするのは無駄なのか、と思いそうになるけれど、

縁もゆかりもない遠い地から少しかわった熱意を持つ小さなおじさんが

一生懸命、故国ではない人間のために尽くした、その事実は失われないだろう。

モノがなくなっても記憶は消えない、希望は残る。

だからただその死だけを純粋に悼もうと思う。

「自分が思うより、恋をしていたあなたに」

半世紀生きてもまだそんなことはあると、

だからやはり「今でもあなたは私の光」

米津玄師は意外に私世代の人間にも人気なので

彼の言葉は世代を超えるものがあるのだろう。

この歌が存在してくれてよかった。