数年前、東京近郊で通勤に便利として薦められた沿線が何故か「東急」で
特に若い人向けの街と上げられたのが「武蔵小杉」「二子玉川」「溝の口」、
「溝の口」はまた別として、武蔵小杉と二子玉川は似た感じの町だった。
「readymade」で語弊があるなら「wellmade」と言い換えるべきか、
誰かの設定どおりの街、の印象だったのだよな、
「大体これくらいの年収でこれくらいの学歴でこれくらいのものが買える」層、
で、併設されたショッピングセンターも置くものが限られている。
そもそも入るブランドが「ケ○ト・スペード」あたりが「ちょっとした贅沢」で
のびしろがほぼ決められている感が私には不快だった。
何年も前に兄が家探しをしたとき世田谷区を勧められ
そのとき兄が言ったのが
「誰もが同じ年収、同じ学歴、同じ経歴、うん○まで同じ形になりそう」と、
さすがわが兄弟、同じ感触を持つ。
私も都心部の賃貸をアクロバティックに手に入れるという荒業を披露したわけで、
考えてみれば、たぶん私たちはそこまで均質的な良い環境になれていない。
武蔵小杉のマンション群はこんなことになるまではとてもよく出来た住環境で、
めったにない災害に襲われなければ、問題点は露呈しなかった。
そして今でもとても出来のよい街だと思うのだよね、多くの人にとっては。
でも私のような、雑多な町で生まれ育った人間には、
その画一的な町のつくりが収容所に見える。
本来横に広がるべきところが縦に広がった程度のことなんだけれど、
多くの人間を新しく収容するのに、用意されているものがあまりに均質すぎる。
有象無象がかの町をなんとなく気に入らないのは、そういう点ではないか。
「柄が悪くて好き」と言う素晴らしい言葉をネットに見つけたので
ああ、そうそう、そういうところ、
「柄が悪いからダメ」ではなくて、そういう点も「町の個性」として残して欲しい、
こういうのが東京近郊には少ない気がするが、どうなんだろうね?
と言って、その町がある川崎市は広くてなかなか個性的な町に思うが、
何故、川崎なのに川崎ではない、的な価値観を持ちたがる人がいるのかね?
このあたり、底辺育ちの私にはよくわからない。
うちの娘も大学時代に「私の住んでいるところはほぼ横浜だから」と主張されて
よく理解できなかった。今でも理解していないよう。まあ、必要ないしね。
東京方面の街の成り立ちは、まず「箱ありき」っぽいね。
関西はそこまで「箱作り」に熱心ではない気がするな。
そういうことを感じるネットのの話題でした、終わり。