せつない。

これは空港でよく見かける光景で、遭遇率は羽田が最も高い、

ベビーベッドでぎゃん泣きしている赤ん坊のそばで

その声が全く聞こえないフリをしているカップルというものがある。

何かにあわててとりあえず子供をなきっぱなしにしているのではなく、

しらけた雰囲気で子供の泣き声を二人で無視している、

明らかに、お互い、どちらかが泣き叫ぶ子供を抱き上げるのを待っている。

子供の泣き声も、抱き上げるだけでおさまりそうなものなんだけれども、

いつまでも放置されてだんだんじれてほぼ苦痛の叫びとなっていく。

固まって動かないカップルだけがその声が聞こえないようで、

二人の間にあるじりじりとした競争の雰囲気が

私のようにホテル行きのリムジンバスを待つ時間がある

暇なおばはんには観察できて、情けなくなる。

たぶん、抱き上げたほうが「負け」なんだよな、

抱き上げたほうにその子供が「泣く」責任が押し付けられる。

私世代の専業主婦ならば、

夫が「オイ、泣いてるぞ」なんて言って、

私もぐずりだす前から抱っこバンドなんかを装着し始めたりして

それが「専業」である存在理由なので

空港に響き渡らんばかりのぎゃん泣きを子供に私はさせたことがない。

でも空港に着いたそこそこ良い身なりの30代カップルは

おそらくはお互い「明日から仕事」で、

どこかから疲れて帰ってきたところで子供のぐずり泣きにお互い関わりたくない、

「勘弁してくれよ、俺は明日から仕事なんだよ」と、夫側は言いたいだろうが、

妻側だって同じなんだろう。それがあるから、何も言わない。

何かいえば、子供のぎゃん泣きに加えて妻側の不機嫌をも誘発する、

「何で私ばっかり!」と、

この場合、ぎゃん泣きの子供を抱き上げるのは「夫」であるのが正解だ。

でもそれをしない「夫」を持つ「妻」の気持ちはいかばかりか、

夫は「母親」である妻に何も言わない俺、えらい、くらいの

意識なんだろうかねえ、、、

でも、あんたも「父親」だよね、

「母親」が子供を泣かせっぱなしにするのがどうかと思われるように、

「父親」だってそれを放置するのはどうかと思われるんだよ。

二人の子供なんだから。

夫が子供を抱き上げるべきだと私が考えるのは、

妻である母親は産むまでにじゅうぶん重い子供をおなかに抱えて

1年近く不自由をしたあと、お産という苦労までしているんだから、

外に出た子供が歩き始めるくらいまでは父親が抱えてはどうか、

それくらいしても「男女不平等!」にはならないのだよね。

「産休・育休」とは、母体を休めるためのものだしね、

「家にいるんだから子供の面倒と家事はお前がやれよ」と

誤解している夫をよく見るが。

大昔ほど赤ん坊を泣かせているてんぱった夫婦を見かける機会が減ったのは

その手の場所に私が行かない性か、

ほとんどの夫婦がちゃんと子供の面倒をみるようになった性か、

その両方だろうと私は思ってるが、

その代わり、子供のぎゃん泣きを放置で

お互いの力関係をはかっている夫婦の姿を

見かけるようになった気がする。

夫婦のパワーバランスをはかる手段の一つとして育った子供は今後どうなるのか、

ぎゃん泣きに対応するほどの余裕もない割には

小奇麗な身なりなので、それなりの生活をしているのだろう。

そんな夫婦の間で育つ子供は、

たぶんこの先、小奇麗な格好をさせられて、小奇麗な学校に通って

小奇麗に育っていくのだろうが、

人として必要な一番豊かな何かを与えられない気がする。

大泣きに根負けして抱き上げる両親を持たない子供は

幸福になれるんだろうかね?

ほんの一瞬の暖かさに触れられずに育つとは、どういうことなんだろう。

旅行から子連れで満足して帰ってきているカップルは、

たいてい夫が小さな子供を抱っこしていて

多少身なりがくたびれていても幸福そうだ。

高確率で今後も色々ありそうなカップルを見るのは、

彼らのほぼ親世代となったおばはんにはきつい。

子供のことで根負けできるほうが、本当は心が豊かなんだと思うなあ。

私は子供のぎゃん泣きを気にする人間ではないが、

赤ん坊をあやすことを完全に放棄している両親を見るのは悲しい。