「老い」が重なる。

都心に住む兄弟に、先日えらく居丈高に叱られて、なんとなく納得できないまま、黙ってしまった。
正直なところ、私はそこまで全否定するようなことを何一つ、やってないんだが、喧嘩するのも面倒くさかったので放置した。
後でじくじくと恨み言のひとつも言いたくなるので、その場で言えばよかったんだろう。
しかし、こちらも年をとって反射神経が鈍くなっているのよ、、、(涙)
そしてあちらも年をとってだんだん沸点が低くなっている。
と、言うよりは、ある程度以上恵まれた生活をしてきているので、ほんの少しの瑕疵も許しがたい。
紙に書いてあるとおりのことが真実で絶対であるので、話の内容が薄っぺらい。
「あれも、これも、全てお前が悪い」なことを言われたのだけれど、
私がこの10年ほど、あなたが大都会でぬくぬくと、したいことだけをしているときに、親の面倒を一人で見てましたよ、
あなたがたった数日、我慢できなかったことを、私は年単位で我慢してきましたよ、
ってなキメ台詞を言えば、たぶん相手は黙るんだろうが、それもまたむなしい。
本来、あなただってやらなければいけないことを、私がやってるんだけど、そのこと、知ってる?と聞きたくなるが、
言っても無駄だしな、「専業主婦」は辛い。とほほ。
私は親の老いをつぶさに見ているが、相手はそうじゃない、それに、今帰ってきても、見えないと思う。
親は離れている子供には甘いのよ、、離れて暮している子供に出来るだけ「ええカッコしい」をしたがる。
しかし、それも限度があるし、そのほころびをつくろうのは最近、劣化激しい私であったりするので、まあ、大変だ。
私がしみじみ感じているのは、私は親の老いを目の当たりにして、
人が老いて行くこと、自分もまた、そうなることをいやと言うほど理解が出来るが、
それを見ていない兄弟には親の老いも、これはもっと認識するのが重要な、自分自身の老いも、理解できない、
「見てない」「見えてない」ことを認識するのは難しい。
「老い」が「老い」を呼ぶことは、離れて暮す人間にはわからないだろう。
時々、殺意さえ含む怒りが暴発しそうになるのは、わたしの老いがなせる業なんだろう。
体力がなくてよかったわ、80過ぎてゲートボールのバット(?)で人を殴り殺す老人がいるしね、
あれは、年をとって制御力がなくなっているのよ、老いはある種の人にはむしろ精神性に影響を強く及ぼす。
まあ、お互い年をとりましたな、ってのは親が年をとったら兄弟に認識させましょう、ってことですが、
なかなか難しいざんすよ。
私が最近、見知ったあれこれで、心から「よかった」と思う現実は、
私は娘を二人とも遠方に出しているので、いつまでも両方に「ええカッコしい」が出来るということかな。
兄弟に連絡するべきことがあるんだけれど、したくないわぁ、、、
ほんで、ネットでだらだらするんだから、私の出来は元々あまりよくない。
現在、私は「老い」の波状攻撃を受けていて、大変だ。それぞれの老いが重なる現実を今、ここに。エンドレスで、とほほ。