「発言小町」をのぞくと「ずるいといわれ、もやもやします」のタイトルがあったので、
暇にあかせて読んでみると、なんと「介護」問題。
あまりにも相談者が典型過ぎて「釣り」じゃないかと思うんだが、反感を買うようによく出来ている。
内容は、子供のいない夫婦の妻が自身の妹の娘(つまり姪)の一家が住むところに定年後引っ越して介護を期待すると
妹に「ずるい!」といわれた話で、いまどき、還暦かそこらでこんな考え方を持つご夫婦はいるのか、
私世代ではもういかに子供の手を借りずに自分たちの後始末をするか、を考えるのが一般的に思っていたが、どうなんだろう。
私の上世代で子供を持たない夫婦はそれなりにいるので、ない話ではないんだけれども、こうもあからさまなのは怪しい。
ただ、妙に現実感があると思わせたのが相談者が姪に何を求めているか、で
「介護を丸投げするわけではない!」としつつも、細かな病院の手配だとかお金の管理、そのほか手を借りたいときに云々、と、
こういう「やってもらう側」にとっては、「たいしたことじゃない」と思われているものが、
「する側」にとっては大きな負担であるのが見えていない、細かな事務処理も既に十分「介護である」の認識がない、
その辺に私などは「もやもや」する。本当に「させる側」には「ちょっとしたことなのに!」の誤解はよくある。
介護にかかわらず、事務処理能力はとかく低く見られがちだが、これが滞ると大変なことになる。
それでも「ぱぱっとやって当たり前」の認識が強いのだよね。
「ぱぱっとやれる」んだったら、お前がやれよ、と思うことは多々あるな。
子供を持たない夫婦が年をとって妙に親族ににじり寄る例はよく聞く。おそらくは年をとってさびしくなったんだろう。
そのこと自体は、年をとって来たもの同志、よく理解できるが、
私がここ数年、見聞きしてきた、この手の「さびしい人びと」に共通する「困ったところ」は
子供を持たず、「結婚しない」ことによる世間的な不自由さからも逃れてきた人は、
大体どんなことでも「やってもらって当たり前」が染み付いている。
一度として「親」の立場に立ったことがない、ずっと「子供」の立場しか知らないでいると、いつまでも意識が「子供」のままで、
ここは「ずっと独身」よりもさらに一見、世間知があるように見えるだけ、その感覚の幼さに衝撃を受けることがある。
いや、それはあなた方には出来ませんよ、が見えない、なぜ、見えないか、といえば、ずっと親がやってきてくれていた、
そしてそれを当たり前に思ってきた、これを半世紀以上繰り返すと身に染み付いて、
なかなか、少しのことでも「やってもらえるのはありがたい」とはならない。
これは子供を持たないご夫婦にぜひとも喚起を願いたいものだが、
たぶん、どこでそれに引っかかるか、ご自身たちではわからないだろう。
「ほんのちょっとしたことじゃないか!」と本人たちは思われているので、
私は「ちょっとしたことだと思うなら、ご自分でやりなさい」と言うようにしている。
「小町」の相談に戻せば、私ぐらいの暇なおばちゃん心をえぐるようによくかけているので、面白いトピックに思う。
「子供を持たない夫婦の罠」を私に思い出させたりして、発言小町、侮りがたし!