読書メモ。

じゃん・ぽーる・西先生のパートナーであるプペ・カリン氏のエッセイを読んでいるが、結構、キッツい。
日本とフランスとの文化の違いを取り上げていて、
その内容はまるで厚切りジェイソンに耳元で「ホワイ、ジャパニーズ!!」とずっとやられているようだ。
好感を抱いてきた方だし、決して間違っていない主張なのだけれど、あまり素朴にがんがんやられると
「うるさい、国に帰れ!」などと最先端右翼的なことを言いたくなったりして、困ったもんだ。
誰もが自国の習慣を良いものだと思っているものよ、、、、(涙)
そのうち詳しい感想を残す予定。
図書館で「英国ベストセラー」と銘打った「エレガンス」と言う本を借りて、
内容はアメリカ人が結婚して英国にいてなぜかパリーのおしゃれマダムの本を手に取るなどと、
さて、これは「フランス人は服を10着しか持たない」みたいなもんか、とはじめは思ったものの、
そうでもない。ストーリーは要約するとかなりぶっ飛んでいる。
それはともかく、ふとアメリカ人の「おしゃれなゲイの親友に助けてもらう」問題を思いつく。
アメリカの映画やら小説やらは、特に通俗版は、なぜか主人公におしゃれで親切なゲイ友達がいて、
主人公に何かあれば(主に「おしゃれ」関係で)必ずさりげなく助けてくれる。
これはまるで「のびたとドラえもん」のようで、このパターンはアメリカ人に特に受けるものなのか、
いつからこれが導入されたのか、調べたい気がするので、メモ。
性的関係が一切ないゲイの友人、とは全世界の女性の見果てぬ夢か、
男性が主人公の映画や小説で、おしゃれで親切なゲイの女性が出てくることはあるかね?
ファッションの世界にゲイ男性は多いものの、一般的ゲイがそんなにおしゃれな存在かどうか、不可思議だったりする。
アメリカンリベラルの理想は助けてくれる「ゲイ友」がいることか。
最近、やたらと「LGBT」擁護の意見が出て、擁護事態はもちろんもっともなことで大いにやって欲しいが、
どこかしら「ファッション」的なにおいがするのがわたしには好きになれない。リベラルも最近はファッションだったりする。
読書とは関係ないが、先日、フジの「保毛田」問題で、ミッツマングローブの談話を読んで、
そういえば、あの保毛田君のお姉さまは岸田今日子様であったな、あの方がいたから、彼の存在は品格があり、輝いていた。
姉、弟のあの素敵なやり取りが私は大好きだったことを思い出し、感慨深かった。
素敵とは言いがたいゲイの存在は許しがたいものか、なんて書くと大いなる反感を呼びそうだな。
あの当時、あれが何故受けたかは岸田今日子様の存在あってのことではなかったか。
すばらしい女優さんを見られた時代であったな、なんてしみじみしたのでした。終わり。