雑談。

はてなのホットエントリで「こじらせ」問題とでも言うべき揉め事があって、
御主張はわかるものの、これでは相手の本の宣伝にしかなってないなあ、わたしはこんな本が出ているのを初めて知った。
「さもありなん」のタイトルで商魂たくましき本であるなあ、と感心したが、買って読むことはないだろう。
図書館にあれば読んでみるかな。
ネット、というよりは、人の注目を集めることでお金を稼ぐ人間の常套手段が「人から嫌われる」なんだろう。
多くの人には目を背けたいものを「もっと見たい」欲望があって、現在「森友学園」が延々とテレビで取り上げられるのは
その理由で、多くの人がどんどん醜悪になる状況を楽しんでみているとしか思えない。
それとも「こういうものが好きなんでしょ?」なメディア側の押し付けか。
上から目線な不愉快さだな、だから私は有料のミステリチャンネルに走るのか、はっ、これもステルスマーケティングかも!
ってな、「陰謀論」を思いつくほど、「嫌いなものほど好きなんでしょ」手法は人を妙な方向に走らせる。
「好かれたって、金儲けにはならんだろ」は真理で、叩かれたら注目を浴びて、注目を浴びれば仕事が来る。
こういう手法を使う人間の「ネタ」にされるのは苦痛極まりないだろう。
先日読んだ「女子をこじらせて」にいまひとつ、ぴんと来なかったのは、
私もまた「こじらせ女子」ということばの一般化されたイメージにとらわれていた気がする。
あのことばのイメージが先に刷り込まれてしまうと、著者が言いたかったことがぜんぜん伝わってこない。
私は雨宮さんは「もりみー」こと森見登美彦さんと同じ苦しみを持っている人だったかもしれないと、あとで思いついた。
軽妙ですばらしいユーモアの持ち主でありながら時々どうしようもなく落ち込んでしまう、とても繊細な人びとで、
私はこの手の「北杜夫の仲間たち」といいたくなる、自分とはかけ離れた、美しい感性の人々をこよなく愛している。
しかし、この美しい感性が他人に簡単に利用されるのだよなあ、、「こじらせ問題」はそこが論点のように思う。
いったん、一般化して走り出してしまったことばは、勢いをとどめることが出来ない。
「家事ハラ」にしても、「イメージ」はいまだに「夫の家事に文句を言う妻」が強いんじゃないかな。
一般化した「こじらせ女子」イメージは、まさにかの「女史」そのもので、
女子力が高い割りに「女子として扱われたくないです!ぷん!」なご主張をされ、
「私ってこじらせているから扱い注意なんですぅ」と聞かれてもないのに「わたしのあつかいほうほう」を主張する、
まさに「女子」の嫌な部分を凝縮させた、それの何割が「男性プロデュース」なのか、しみじみ知りたいわ。
「女性の三大悲劇的ことば」なるエントリーがあったとしたら、「こじらせ」はトップになってもおかしくないかも。
うう、つらい。週末は休もう。