ネット雑記。

最近のはてなは集客狙いでやたらと注目の話題を取り上げて煽り系のタイトルをつける人間が多くなったと思っていたら
古参の人間までもがその手のことをやらかすとは。
「圧倒的正義で相手を追い詰める」のようなタイトルは、いかにも人の目を引くものだけれど、
この件で、そこまで「正義」が行われているだろうか?
私はむしろ、告発者が大きく損なわれ、相手は利するばかりであるのが見える残念な件だと感じている。
常に黒縁眼鏡に清楚な白いシャツを着た「インテリアイドル」女史はこの件でまた知名度が上がるんだろう。
ネットでの炎上は一般には「可愛い女史が怖いおばさんに噛み付かれた!」に持っていかれてしまう。
「正義が〜」「追い詰める〜」のタイトルは、明らかにその方向を目指していて、
ブログの内容自体はタイトルほどでもなく妥当な線をなぞっているだけではあるのだけれど、
中途半端に読まない人間が「○○さん、かわいそー!」と曲解を招く程度にはあざとくて、
「アンバー先生もやっぱり若い子が好きなんでしょ!」と私がゲスくかんぐるのと変わりがない。
それほど巧妙なそそのかしが出来るのはさすが性格の悪い人間しか生き残れないはてなの古参!
なんて、10年以上はてなで居座っている私が書くことでもないな。残れるのは単に「はてなに慣れる」からだ。
このたびの件で、指摘されている側の無神経ぶりはむしろそれが「うり」で、
出版社側は「喜んで買う人がいるんだから、このやり方が正義!」
と彼ら側のほうが「売れる!」の絶対正義を振りかざしているのだが、
私はこの出版社は精神病者を「見世物」として扱っているのにはもう飽き飽きしている。
こちらで出版された「失踪日記」は名著ではあるし、「人間仮免中」も1巻は評価に値する。
しかし、同じ作者たちの「以下続刊」の出来の悪さは「柳の下のどじょうは無尽蔵」ではないことの証明に思われるのだが、
それに気がつかないふりでいる図太さは、はたしてどこまで作者たちの窮状を救うを建前に出来るのか、
今後私はこの出版社を「病気を金にかえるのには定評のある○ースト社」と考えることだろう。
私がこの件でしみじみうんざりしているのは、発端となったことばを使うに関して、
「○ぬ、死○」と、大昔のポ○ノ映画でも決め台詞としても安っぽい物言いをする残念な言語センスの
「インテリアイドル」女史が「編集者の意向でぇ〜」を振りかざして終わりになると信じているのが、
まるで甘ったれ女がやたらと「父が〜」「主人が〜」を多用して明らかに自分の責任を逃れる手法にそっくりなことで、
もうこれをされた瞬間から、この女には人格がない、と脱力するよりほかない、
究極に「女の甘え」を自身に容認している現実を理解する能力がない、
にもかかわらず、数冊の書籍を出している、この世界のくだらなさ、
それは今に始まったことではないにしても、こういう女が「フェミニズムが!」だとか「女の何とかが!」なんていう、この救いのなさ、
早目に彼女にはとっとと「女」を名乗るのをやめていただきたい、
と、長い文章になったように、わたしのやるせなさはことばでは語りつくせないものがある。
彼女のやり方の女子力の高さは専業主婦の私としては脱帽せざるを得ない。
よくぞまあ、こんな女を編集者は掘り出してきたものだと感心している。女子力の高さは無敵か。
彼女が女性に嫌われがちなのは、おそらくは「女子中の女子!」のやり方を無意識にやってのけるのにもかかわらず、
「女として生き辛い私!」なんてやってくれる点で、それも「コスプレです!」と開きなおられればそれまでか、
なんだか、もう、なあ、と、ただため息が出るだけの私なのであった。
「編集者は父親か夫」って認識でいいんですかね?
そしてその存在は「絶対」なんですかね?
このたび抱いた疑問はまずはここに尽きるかもしれない、ということなのでした。はーやれやれ。