おやおやと思ったことなど。

年末から某コンビニの総菜シリーズの名前が気に入らないの意見が

「女子」高校生から出た、の話題を見て、なぜ、いつも「女子」なのか、

「男子」高校生から出ないことも根深い問題であるな、と思ったけれど、

それ関係で署名運動が出ているようで、

やっているのが「ビジネス・なんとか」の記者。

そしてその発言が実に「ビジネス」な「金があるものに価値がある」と、

まあ、流れ的に出てもおかしくない意見ではあるし、

その意見そのものを責めるつもりはないんだが、発想が強権的であるよな、

「力を持つものが多くをとるのは当たり前!」と公言してはばからなくなってきた

世の中が素晴らしいかどうかは別にしても、こうもパワフルな意見を言い放つ人間が

「〇〇食堂のネーミングが気に入らない!」と発信するのは

一種の「言葉狩り」「表現規制」の趣もあるのではないか。

「力を持つ私が気に入らないと言っている!」と

正直にこの活動の根本的考え方を表せば

「女子高校生が訴えた!」がどこかしら「偽物」臭くなる。

気に入らないものを排除するのに「女子高校生」を盾に使いますか、

この手の「ジャンヌダルク」的な手法に私は辟易としているほうだ。

言ってることそのものは確かに一面で正しいのだけれど、

そして私は自分をフェミニストと名乗るけれど、

なんだかこれを「フェミニズム」の代表格にはされたくないな、と、

「何とか食堂」は私は表現の一部として多少の目こぼしはあってよいものではないか、

そこまで「言葉狩り」に徹するのは、やりすぎではないのかと思う。

何にしても、私は「ビジネスインサイダージャパン」をまともなメディアとして

みたことはなく、総菜のイメージ戦略に「お母さん」の言葉を使うように、

有象無象を飾り立てるのに「ビジネス」「インサイダー」の言葉を使う、

似たようなことやってて、同族嫌悪か、って感触を得たので、ここに書き残す。

何故、阿呆が放言をもっともらしく書きたれる落書き板に

「現代」だの「ビジネス」だのと使いたがるのか。

私は「ビジネス!」と言いたがる人間は「阿呆でございます、」てイメージしか

最近ないんだが、一般的にはどうなんだろうな。

ゆえに「おふくろ」だの「お母さん」だのがついても、

あーはいはい、って感触しかないわ。

それって「間違ってる!」んでしょうかね。おわり。