嫌われることば。

ここ10年ほど、定期的に話題になっては消えるのが「夫を「主人」と呼びたくない!」で
いまだにこれは解決しない問題なのかと感慨深い。
20年以上前にその言葉が存在することに驚いた私だが(つまり、結婚相手をそう呼ぶ「層」があるのを知らなかった)
今は、抵抗なく使っている。
「主人」は所詮、ことばの「コスプレ」なのでなあ。
ようは、その言葉が必要とされる場所では使うのが常識で、それを使わないことで自己主張しても特にメリットがない。
むしろ、「主人なんて呼びたくない!」の「こだわり」を嫌う人もいるので、使うのは一種の「サイン」かな、と私は思っている。
「主人が」を好んで使う層は、経済的に一定以上恵まれた女性集団であるように思う。
私世代(アラフィフ)は、年下世代が「私は主人なんて呼びません!」をありありと示して
「私の夫が!」と言うのをあまり気にせず聞き流すが、私以上の世代は、かなり「かちん」とくるようで、
さりげなく「はぶ」られるのを見たりするので、そこに屈するか、弾かれるままになるか、難しいもんだな、と思っている。
だから「私は夫を「主人」と呼ぶ人間は嫌いだ!」も感覚的には「あり」だろうな、と思うが、
コスプレイヤーは全員馬鹿だ!」と決め付けているようなもので、それもわからないでもない感覚だが、やや乱暴ではないか。
私の同世代の友人界隈では、公共の場ではともかく「旦那が」をよく使っていて、これも男性を「たてる」言葉であろうが、
その響きにこめられた若干以上の嘲笑感といったら、つい忍び笑いがもれる。正直、その言葉の感触は「宿六」に近いな。
おそらくは「主人が」も同じようなもので、私がすまして「主人が」と言う場合、
「オラオラ、ご「主人」さま、わたしをやしなうためにとっととはたらけよ」な、もうみもふたもない奴隷感があふれんばかりじゃないか、
しかし「主人」と「呼ぶ」ことで、上手に隠せてるんじゃないか、やっぱり、これはことばの「コスプレ」だ。
それが「嫌だ」と言う人は、たぶん私以上に配偶者を熱愛しているのだろう、立派なことだ。
考えてみれば私が嫌いな「担当」なんてことばも元々はある種の「業界用語」だろうし、
配偶者を「主人」と呼ぶのも「業界用語」なので「業界用語」は嫌われるものかもしれない。
マイダーリンに聞いたところ、ダーリンは「嫁」が嫌いだそうで、なるほど、こだわりがあるなあ、
ダーリンは私を「同居人」と書きたがるようだが、私は実は「同居人」のほうが嫌いだったりする。
ドラえもんかっ!」という気になるからね。
私がたまに顔を出す奥様界隈ではあまり「夫が」という人はいなかったりする。
若くても空気を読むのに長けた人が多いのでな、大体「主人が」といってるな。そして「言わされてる」感が「皆無」なのも特徴的だ。
たぶん配偶者を場面に応じてなんと呼ぼうが、揺るがないものを持っている人に思われる。そういう若い世代は優秀だ。