「すべて」か、「なし」か。

「さほど好きでもない相手と結婚する」のタイトルを見かけて、その一連の主張を読んでみたが、
感じたのは大変な喪失感というか、欠落感というか、それらが全て万能理由「親のせい」であったりして、
そんなに「ラブラブ」なご家庭ばかりがこの世に存在するかどうか、私は大いに疑問なので、
「誰も好きになれない」人の不幸とはこれなんだろう。
この手の人が妙に「恋愛」を熱望するのはどこか依存症気味であるような。
この方の周囲には「好きでもないけど親の手前結婚した」なんて人間がいるようだが、
日本で「オレはこの女が最高だから結婚したぜ!」と宣言する男性はそんなにいないんじゃないかな。
どちらかといえば「しぶしぶ結婚してやったんだぜ」といいつつ、いざ離婚となったら、妻より夫のほうが女々しかったりして、
どうもある種の男性は「しぶしぶ結婚してやった」が「かっこいい」と思っているらしい。
私は彼が人の言うことをそのまま信じるおめでたさに涙する。
育ちも性格も悪い私は他人のことばをそのまま受け取ることがまずない。
故に書き手ご本人が思うほど悲惨な家庭で育ったわけではなさそうだと考えている。
私がこの書き手に冷たいのは、知り合いの配偶者を見下しているのではないか、と考えるからで
もし「仕方なく結婚した」人の配偶者が恐ろしいまでの美女であるならば、そのことばをすんなり受け入れられるかどうか、
そもそも他人の配偶者の性格なんてわかるものではないから、「見た目」重視で考えてるんじゃないか。
「あんな女とよく結婚できたな」の奇妙なプライドの高さを私は感じている。
彼が結婚をあきらめたのは正解だろう。
他人の配偶者すらも見下す人間が、自身の配偶者を大切にすることはないからだ。彼はそのご両親によく似た人間のようだ。
ところで、「見た目重視」の人間が結婚できないわけではない。結婚に望むものがはっきりしていると結婚はしやすい。
私の若かりしころの知り合いは「美人と結婚したい」と言って、実際3回も美人と結婚している。
ただ、その結婚が続かないのは、彼はいったん「美人」を手に入れると、「美人」である以上を必ず求めるようになる。
欲望は果てしなく、「もっと、もっと、全てを!」となる。
そして「全てが手に入らないんだったら、もういらない」となり、結婚は破綻する。
本人は「なぜオレはこんなに不幸なんだろう」と思っているようだが、私はお相手が気の毒でならない。
私の若いころの知り合いには
「良家のお嬢様と結婚したい」だの「自分と同じくらい頭が良くて自分より稼ぐ女性と結婚したい」だのと
希望をはっきり持った人たちがいて、おおむねそのような人と結婚されて幸せに人生を歩んでいるが、
彼らの結婚生活が幸せなのは、その希望以上を相手に求めない賢明さを持つからで、
結婚して幸せになれるとは、結婚に多すぎる期待をもたないことではないか。
「完全なる幸福しかいらない」と考える人はそれほど珍しくない。それもひとつの考え方だろう。
「わたしのかんがえるさいきょうのけっこん」が出来なければ、しないほうが幸福だ、と思うことに私は反対しない。
ただ自分が「完全」な人間であるかどうかをよく考えて欲しいとは思う。