話題の漫画。

週末、話題をさらっていたのが某漫画家の「実家・ぶっちゃけ話」で
これは我が家に絶版になった「紙」の本があるのであらためて読み直してみた。
嫌な感じの始まりではあったな。
数年前「ゲゲゲ・レレレ・ラララ」のお嬢さん方の本が出たから、そこから発想を得たんだろうと読み流していた。
話題になった15話を読んだ限り、編集者との意思疎通がうまくいかなかったような、
家族よりも、むしろ描き手の意図を無視する編集者にぶち切れたような気がした。
紙の本の1巻で、お金がないのに妻を働かせないなんてドン引きな話がなにげに描かれているので、
その後の展開もかなり、とりつくろってる気はしたな。
作者の母親がまるで「天使」みたいに描かれていて、これが編集者の「意向」だったとしたら、ぶちキレるのはよくわかる。
「こんな女、おらん!」と断言していい。これは、書かせた編集者の「妄想」の中のみに存在する女性じゃないかなあ。
「ぼくが好き勝手しているのにいつも受け入れてくれる奥さんだったらいいなあ」なんて、考えてるんじゃないかな。
「ほら、○○先生の奥さんは、こんなに先生が無茶やってるのに受け入れてる!」って、やってるんじゃないでしょうね、
編集者を晒せ!とネットには書いておこう。私はこれをかかせた編集者の家庭(をもし持ってるなら)が知りたいわ。
今回、注目された話は、ここだけを切り取って家族を断罪するのはどうか、と私は思っている。
これはあくまで作者の「心象風景」で端然と「事実」を描くにしても、それが本当に「真実」かどうかは描いている当事者でも実はわからない。
受け取る側が問題にするかどうか、
毒親!」「かわいそうな娘!!」と吹き上がるほうが「正義の味方」っぽいが、そういう単純な問題ではないんじゃないかな。
なぜ、細々とでも家族関係を持っているか。
このあたりが「創作家」一族の「業」というか、「謎」というか、
どちらか一方が圧倒的に「悪い!」と受け取らないほうが、作者家族にとっていいんじゃないかな。
親のほうを断罪してしまうと、後々、作者にもよくない影響があるように思えるのだよなあ。
少なくとも、どん底にあった家族を救うためにキャラクターで版権ビジネスをしてくれた人の尽力を
無駄にするような受け取り方をしてはいけない、私は、やはり「創作者」の悲哀の一部としての家族の嘆きに受け止めた。
「ものかく人」とは大変なのよ、「ゲゲゲ・レレレ・ラララ」の娘さんたちも大変そうだったわ(涙)
かつては、人気小説家の家族秘話が話題になったもんだが、今はかつての人気漫画家の家族悲話がそうなるんだな。
話は変わるが、たいていの日本の思想は「アメリカ発!」で「毒親」思想も「アメリカ出来」なわけだけれど、
私は一概にこの思想をアジアの小国である日本に当てはめるのはどうかと考えている。
毒親宣言!」は「カミングアウト!」として大人気ではあるものの、ネットではどこまでそれを本気にしていいやら判別のつかないものが多い。
毒親宣言」はネットで注目を集める「手法」としてだけ確立されてしまった感が私にはある。
恐ろしく独善的で思考停止の残念な手法だと思う。「すべては親が悪い!」で終わって発展は望めないのだよね、、