テレビ雑記。

昨夜も11時前からマイダーリンの「逃げ恥」鑑賞に付き合わされたわ、なぜ「(見るのは)今日じゃなきゃだめ!」なのかいまだ謎。
今回も「ひらまささん」にマイダーリンは身もだえして楽しんでいて、来年還暦の爺さんがなぜこうもひらまささんに共感するのか、
マイダーリンが「ざ・りある、ひらまさ」さんだからじゃないか。
今回ともに見た私の感想は、「思ったほどひらまささんもコミュ障じゃないなあ」、だったりする。
我が家の「ひらまささん」であるマイダーリンなら、私と気まずいことがあって、私が書置きを残してどこかに行ったら、
「きっと、あのときのせいだー!」とは思わないと思うのよ。
自分に都合の悪い記憶を完全に書き換え、と言うか、あえて「なかったこと」にして、残したメモどおりに毎日冷蔵庫の弁当を食べ、
それがなくなったころに「帰ってくる」と待ってる、それが「コミュ障」が「コミュ障」であるゆえんではないかな。
やはり、他人のことがよくわからない、言われたとおりのことを信じる、ドラマでは主人公と生活したことによって「目覚めた!」ようだが。
マイダーリンが深刻なコミュ障かどうかはべつとしても、今回の話はやはり「少女マンガ的だなあ」と私は思った。
マイダーリンと同じく(?)このドラマにはまっている琥珀先生が今回も興味深い考察を書いたのを拝見して、
ふむふむ、「恋愛すると家事は「ただ」で、になるんじゃないか」の懸念も出てくるのだな。
私はそこはそれ、恋愛と通常業務は別で、の考えだが、男性はそういう「期待」をしてしまうものか、
「好きなんだったら、家事はサービスだよね」が自然に出る男性とは誠に泣ける存在だわ、
「私が好きなんだったら貢ぎなさい!」なんて好きな女に言われたら、それに従うかどうか、
琥珀先生の主張はほかにあるので、これとは別の形で表現されているが、
「恋愛」が介在することでそれまでの分担関係が崩れる可能性を指摘するのは、やはり「古い」世代の発想ではないか、と思った。
私も「古い世代」だが。
先日、「家事なんか外国人メイドを安く使って済ませれば良いじゃないの」がツイッターで上がっているのを見て、
「家事」はもう「外注労働」である、が今の時代ではないかな、
原作である漫画ではその「古い」感覚に対する答えがあるようなので、読んでみたいと思った。
恋愛ドラマを見てもまったくババアは身もふたもない、私もこう言う「空気嫁」が出来ない「コミュ障」なので、マイダーリンとうまくいってるんだろう、たぶん。
私はメモに「行ってきます」と書いたら必ず「ただいま」と帰る人間なのでたぶん結婚生活が続いている。
「コミュ障」でも「信頼関係」が大事、と思うのでした。