「激務」「社畜」自慢はやめましょう、のはなし。

昨年からある種のツイッターを眺めて知ったのは「激務でぇ」「社畜だから」の言葉で、「寝てない武勇伝」が必ず始まるわけなんだけれど、
これを現在社会人の娘は非常に嫌う。
「それ、自慢だからね」と、つまり「激務」な会社に勤めてる「私」「俺」偉い、か。
「残業代いっぱいもらっちゃってるよ」ってな屈折した「給料自慢」であるのだね、それから「私・エリート」自慢。
ただ、私が見たところ、そういうのを語っている人間が同じ会社に3年以上勤めているのをまだ見ていないし、
さっさと辞めた挙句今度は「やめた俺、偉い」と別の自慢が始まるようなので、
何だそりゃ、そこの企業は馬鹿しか雇わないのか、人事は大変だのぉ、と思ったりする。
ネットでは今回の過労死事件でこの手の人が「逃げた俺、私、偉い」な言説を弄するのを見かけて、
おそらくはそういう人間と同じになりたくなくて、死ぬしかないと思いつめたような、
「激務・社畜・寝てない」自慢をした挙句にやめた人は、実はさほど仕事も出来ていない場合が多いので、
それを知っていると、やめたくないと思ってしまうんじゃないか。
そういう人は何重にも「真面目」なのだよなあ。
うちの娘は勤務時間内に仕事を終わらせることにプライドをかけているので、残業はほとんどないようだ。
ただ、残業代がつかないと、給料はそんなによくない。でも、自分の時間は十分取れる。だから仕事は続けられる。
「激務」自慢をする人は、その給料の良さを暗にほのめかしているのはミエミエなので、
そういうのを慎めば、もうちょっと社会はよくなるような気がする。
時間を売り渡してお金を稼ぐか、そこまでのお金はいらないと判断するか、
「時間が短くてお給料もいい」なんて仕事はほとんどないんで、どんな生活を送るか、よくよく考えてみるのは大切。
労働問題はもう少し整理して議論してもらいたい。
過労死問題はアホがたくさんわいて出て、何をどこまでかえれば良いのか、うやむやになるように思う。
「その程度の労働時間で」と言い出したおじいちゃん先生は論外だが、何故、その仕事を選んだか、何故、そういうシステムになるか、は
もうちょっとちゃんと語られるべきに思う。「かわいそう」だけで吹き上がると、何も変わらない。