昨日「稼ぎの悪い夫は交換」なんてコマーシャルがある!の記事を読んで、
ごめん、テレビをよく見る専業主婦だがその存在を知らなかったわ。
記事は「なぜ、こんなコマーシャルが炎上しないか」で、これはやはり女性が悪いかなあ。
いまだに「夫をこき使う妻の私」がある種の「ステイタス!」になってるからね。
ツイッターの「キラキラ女子」の進化系「キラキラ妻」を読んでいるとその価値観が、前時代的なのに驚かされることが多い。
彼女らは自身が「高学歴」「バリキャリ」である上に「ハイスペ夫」がいる設定で、
ありきたりのマウンティングを否定する割には自分がいかに恵まれているかを常につぶやかずにはいられない。
たとえば、昨日は「バレンタイン」だったので、ハイスペ夫がチョコレートをもって帰ってそれを当然のように「もらう」私、
でも、そのお礼は夫に「出させる」と、「キラキラ妻」は夫と「対等」ではないことを強調する。
私は、夫がもらったチョコレートを妻が引き取るのなら、そのお礼は「自称・高収入」らしき妻が用意するのが当然のことに思われるが。
「妻である私のほうが立場は上」、夫に私のわがままを我慢させている、どうよ、私、えらいでしょ、な、
これは私が若かりしころから変わらずある価値観で
「女としての魅力は男にどこまで我慢させるか」「夫にとことん尽くさせる妻である私」で
私はこういうアピールをを見かけるたびにうんざりする。
「夫につくされる!」は自慢に値することかもしれないが、「フェア」ではないよね、と念を押したくなる。
妻が働いていようが、いまいが、夫婦の立場は常に「フェア」であるべきではないか、と私は考えている。
夫にこれだけ「させている」私、偉い!って、対等なパートナーである相手に「無理」を強いるのって、
そんなにすばらしいことかな?
「夫である彼は喜んで私に尽くしている、私に女としての魅力があるから。つくすのが彼の幸せ」が答えなんだろうが
「つくされる側の私が一番偉い!」は、妻が夫につくすのを「良し」としない、むしろ蔑む。
男女が「フェア」であり、多様性を認めるのであれば、女性が夫につくすのも、一つの価値観として認めてもいいはずなのに、
それは許しがたく、また、女性に「魅力がない」「夫から愛されていない」につなげてしまう。
そんなに単純な話ではないのだけれど。
夫婦の「フェア」はおそらく各家庭ごとに違っていていいものだし、
それがどのような形であっても、どちらが上だとか下だとかは基本的に「ない」と考えていい。
激務だと強調する(故に夫は高収入だと匂わせる)ハイスペ夫に家事を丸なげし、
自分の仕事がきついときは夫に当り散らしても許される私とわざわざ書き、
「どうよ、愛されてるでしょう?」「夫にはしないけどね」もあっていいだろう。
でも、それが本当に「一番すばらしい」かな?
コマーシャルの話に戻すが、それが炎上しないのは、結局「稼げない夫はポイ捨て」と公言することが
ある種の女性にアピールするから。
やはり、これって、よくないと思うのだよな、「専業主婦」やってる私が言うことではないんだろうが。
「立場の強いものが多くをとる」を「当然」のこととして認めていいものか、それが世間の常識でも疑う必要はあるんじゃないか。
とかく、ある種の女性は、私が若かりしころから「夫をいかに虐げているか」をステイタスのように語る趣があって、私は苦手だ。
「私は専業主婦だけど、家事は全部夫がやってくれる」と吹聴する知り合いが転勤族時代にいた。
しかも「夫がどれほど私が子育てに苦労していても、まったく手をかしてくれない」と泣いている人の前で。
この空気の読めなさに感動したのでよく覚えている。いつの時代もそういう人はいる。
夫と妻が家庭の事情を抱えたとき、たいてい「ひく」のは妻のほうで、そうしたほうが世間的にもおぼえがよく、
故に妻はストレスをためて、たまに夫に譲歩をさせて「勝ったどー!」と凱歌を上げるのはほほえましく、私も否定しない。
でも、それを常にやってるとわざわざ書き連ねるのは、それが真実かどうかは別にしても、
やはり意識のどこかで「男女不平等」を肯定しているように思う。
この女性側の「男につくさせる女のステイタスが高い!」意識がいつか是正されるのかどうか、私にはわからない。