雑談。

はてなの一部である「学歴」論争で思い出したことなど。
先日、北杜夫の「楡家の人びと」を読んだ後に「ドクトルマンボウ青春期」を読み返して、
考えてみれば斉藤茂吉は息子たちを自分と同じ学歴を持たせることが出来なかったのだな、などと不埒な感想を。
斉藤茂吉は貧乏な家庭からその勉学の才を中学から見込まれて地元の名士に引き取られ勉学に励んだ後、今ですら東大でも別格と言われる東大医学部へ。
その息子たちは上は昭和医科大、下は東北大、と、茂吉は自分よりはるかに経済的に恵まれた家庭に生まれながら、
息子たちの勉強不熱心には、頭を悩ませたと見える。
息子たちの随筆を読むに、茂吉はとりわけ勉学に励むことを息子たちに望んで、一喜一憂したことがなんとなく伺われる。
特に下の息子の北杜夫は、少なくとも旧帝大である東北大学医学部に入学するぐらいなので、
子供時代から頭がよい、と茂吉は大いに期待していただろうから、「東大は、無理!」と知らされたときはやはり少しはがっかりしたことだろう。
優秀すぎる父親を持つとは、本当に息子にとっては迷惑な話だ。
そういう目で見ると「ドクトルマンボウ青春期」は趣が変わって、父親の重圧の元、何とか自我を確立させようと奮闘した青春記録に見えてくる。
それでいながら、「楡家の人びと」でも「ドクトルマンボウ」でも、北杜夫はやはり父親を慕って止まない心があって、なんと子供は純真なんだろう。
茂吉の評価も上がったりして。これほど息子に暴君であっても、やはり慕われる存在であるとは、魅力ある人であったのだろう。
多くの才能に恵まれ、しかし時代にもまれ、その中で必死に抗って、それなりの成果をあげ、
子供たちを愛し、期待し、裏切られ、それでも理解され、愛された、まさに「巨人」であったのだなあ、と感心した。
私は「ドクトルマンボウ青春期」を高校時代に読んだとき、大学生の息子に「女は怖いから近づいてはいけません」などとわざわざ手紙をしたためる茂吉を、
「馬鹿父」などと、しかも後に、弟子の女性と恋愛沙汰をおこしたのを知ってより「大馬鹿父」とあきれたものだが、時間がたつと考えが変わるものだなあ。
学歴の話に戻せば、旧帝大の医学部に入れず、地方大学の医学部入学に「身を落とした」と嘆く層がいるとは、
私の身内の東大医学部卒は、「国家試験に受かれば同じですよ」と言うので、そんなものかと思っていたが、そうでもないのか、
考えてみれば、自分がトップ中のトップにいるから、そういうことがさらりといえるものか、とあらためて感心したのでした。
しかし、地方の医学部はその地方では「東大と同格」とか「東大より上」(医学部を除く、だろうが)と考える地元民がいるので、
心慰めていただければ、、などと、考えたのでした。
茂吉の息子たちは、父親とは違う形でそれぞれ優秀であったので、茂吉おとうちゃんはそんなにやきもきしないでもよかったのに、と思わないでもない。
現在、はてなで論争(?)が起こっている学歴論とはまったく関係のない感想なのでした。終わり。