はてな雑記。

自然派」云々バッシングがなぜか始まっているらしく、何故こうも常に叩く対象を探したりツイッターでわざわざ作ったりするのか、
ネットで見かけるいわゆる「マーケティング」にろくなものがない。たぶんはてなで「ネットの反応」なるものを実験しているんだろうが。
数日前からハテブロ紹介トップになぜか常に置かれるフィクション上の人物ブログブコメで「最終部分に驚く」とあったので、
何に驚くんだろう、とつい見に行ってしまって、また後悔してしまったわ、、私のような人間がはてなにいるから社会実験場になるんだよ。
問題の最終部分は「コンロで手を焼かれた私」だったが、以前何かの対談写真でその手を見たところ、特にやけどのあとは見られなかったので、
最終部分も含めて「リテラシー」が問われている内容なんだろう。
私も子供時代にやけどをしたが、適切な治療を受けたのにまだあとが残ってるからね。
彼女の手は「あぶられた」割にはきれいだったので、あぶられたのがよかったのか、なんて思ってしまうわ。
あの最終部分につられる人がはてなに多いってことはやはりネットでは「かわいそうな人」が良くも悪くも注目を集めるってことがわかるな。
いわゆる「自然派信仰」の人間もどこか知的発達に障害を持つ人のようで、「かわいそうな人」であるのだが、それは子供を盾にしておけば、心置きなく叩ける。
また「母親の虐待!」「底辺出身!」も「かわいそう!」で注目を集められる、同情的なコメントを残せば簡単に「よい人」になれるしね。
「注目の公式」を割り出して、何が出来るか、ようは、お金をどう集めるか、なんだろう。
この公式は大昔から流行ったり、廃れたり、なくならないのが強いというか、何と言うか。
昔からある種の階層の娯楽は「貧民観察」であったりして、ヴィクトリア朝期、監獄や貧民街めぐりが「娯楽」として成立していたし、
かつて「死刑」がよい見世物になっていたことも、少なからずこの傾向にかかわりがあるだろう。
しかし、こういうことをして扇動を試みたりする人間は、何が一番の望みなんだろう。
他人を自分の思い通りに操ることかな?
この手の人間はまったくネットで絶えることがないな、この10年ほど、そういうのを公言する人間にネットでもよく出会ってきた。
こちらが何を考えているかなんてかけらほども理解できていないくせに「想定通り!」と勝ち誇る人間も見て来たりして、
ネットは似たような人間が繰り返し現れるところなのか、とため息が出る。まあ、人間社会ってそんなものか。
やはりはてなのホットエントリ画面は見ないに限るな。たまに見て面白いとつい続けてみて後悔する、己の学習能力のなさに、涙。