問答無用の棍棒の恐ろしさ。

「me too」のハッシュタグを眺めていて海外で仕事をしているらしい「nana tea」と言う人のツィートを眺めていると、はて?と。
海外での仕事先でレイプされそうになった、は事件としてなくはないんだろうが、
そのツィートをさかのぼって行くと「女の子が理系に行くと結婚できなくなる」なんて進路指導をする学校にいたなどと、
これは以前にも見かけたネットの説であるが、かなり眉唾だ。
現在50歳である私の時でさえ、田舎でもそれなりの進学高校に所属する生徒ならば、そんな指導は受けなかった。
そもそもそんなことを言うなら、「文系・理系」のクラスわけのときに、女子は理系には行かせないだろう。
現在20代前半である私の娘たちの出身高校でも、こんなことはありえなかった。
理系に進学しなければ、今も成績の良い女子に人気学科である薬学部、看護学部には進学できない。
医学部に行く女子も最近は格段に増えている。大学に進学するような高校で、その指導はありえない。
現在の日本ではありえないことに思えるのは、私が恵まれているから、と言うわけではないだろう。
時々、はてなでも「貧困」「性犯罪被害」の問答無用の件で「こんなことがあるかな?」と言うものを見かけるが、
なりすましのデマ吹聴は、その活動がどれほど社会に役立つものであっても、私は信用しない。
これは人の善意を利用する純粋な悪意でしかないからだ。
「これでもか!」の被害者を用意しないと、お前ら動かないだろ、な、いわば人を追い立てる「棍棒」だ。
私は他人を一切信用しない人を信用することはない。
以前からはてなは「かわいそう!」原理主義がまかり通るところであったが、
その原理が最近はどこかの誰かのサイドに都合よく使われている。
しかし、「かわいそう」原理主義はそこに「科学」がかけらほどもない。「検証」のない「かわいそう」など無意味だと私は思う。
何が、どのように不公平であるのか、その原因はなんなのか、それを一切封じて
「かわいそうな人を救え!」と言うことほど、思考停止なものはない。これは社会全体をよくするものでは決してない。
この手の「とにかく人を集めて問答無用で動かせ!」ムーブメントは、誰かが請け負っているのか、
あまりに胡散臭すぎて、乗ることは出来ない。
ネットは匿名で何でもいえる場所ではあるが、故にデマをいくらでも捏造できる。
「かわいそうな人のために!」はお題目であるが故に宗教臭がする。
昨日、はあちゅう、よっぴー氏のツィートを眺めて、
この方々は、賛同者と言うよりは、自分たちの「信者」を求めているのだな、とうんざりした。
ここ数日読んだものの中で
「純粋な応援」を求めるのは、「純粋な被害者」を求めるのと同じくらい馬鹿げている」が最も秀逸な言葉だった。
「信者」にされてしまうのでは、手は貸せない、デマを飛ばしてでも、人を集めようとする人は信用しない、
「性犯罪被害者を救え!」「弱者を救え!」は当然だが、それが問答無用の棍棒になるのでは、それもまた暴力でしかない。
案外、気がついている人がいるからこそ、無駄な「デマ」を飛ばす人間が出てくるのか。
とりあえず、私ははてなで「伊藤」姓を持つ人間は信用しないことにしているが(偏見です、もちろん)
ネット全体でも「ナナ」の名前を名乗る人間も気をつけよう、などと思うのでした。(ちがう)
「ナナ・茶」か、いかにもネットの人間を小ばかにしている名前だなあ。
デマがひとたびデマと暴かれたとき、全ての動きがひっくり返される可能性はかけらほども考えないんだろうか?
そして純粋に運動に賛同した人間の善意を傷つけることも。
ネットの傲慢、ここにあり、って感じだなあ。