雑談。

大騒ぎになりそうだった「セクハラ、パワハラ」告発も相手がすばやく「撤収」したことで、終息。
さすが、加害者側がデジタルメディア系の仕事もしてきただけはあって、対応の仕方も堂に入ってる。
思いのほか盛り上がらなかったのは、告発者がネットの人気者(?)はあちゅう氏であったせいか、
はあちゅう女史に被害者役をやらせることで、セクハラ天国日本に「me too」運動を広げないための前哨戦だったのか、
そこまで私ははあちゅう女史を胡散臭く思っている。
この件に関するさまざまな意見を読んで、私がこの件にかかわりたくなかった理由がわかった。
基本的に、「ジャイアン」「ジャイ子」の「兄妹喧嘩」に見えたからなのだよね。
どちらも「パワハラ」を平気で出来る強者だから。
パワハラ・セクハラ」と言うよりは、「パワハラ」の中に「セクハラ」部分もあった、相手が「若い女性」であるから、
って感じで、わたしははあちゅう女史が「セクハラ」を感じる程度に感性豊かであったか、とそこにも驚いた。
彼女もいかにもオッサンの喜ぶような「セクハラ」発言を女子大生時代から平気で発言していた印象がある。
私は告発者が自分以外だったら、はあちゅう女史は平気で
「あなたにも隙があった」だの「そんなのも我慢できないで電通にはいったの?」と言い出すような人だと思っている。
もし岸氏がはあちゅう女史の望むようなポジションを投げ与えていたとしたら、彼女は、これを告発したかな?
しなかったでしょう、今でものうのうと電通にいて、同じようなことをしていたんじゃないかな。
クソだとわかっている男に「友達」を紹介した件についてはあちゅう女史の解答も読んで、
今でもはあちゅう女史の「友達」をやれているような百戦錬磨のお嬢さんたちは
この程度のクソ野郎に傷つくことはなかっただろう事は容易に理解できるものの
クソ野郎の生贄に連れ出されたのは、そんな鋼鉄の心を持った女子ばかりではなかっただろう。
クソ男は自分と似たような女子たちと遊ぶのに飽きるから、子羊を生贄に差し出せ、と言い出す。
私が女子大生であった30年以上前から、この手のことはよくある。
自身には手垢がつきまくって、それまで遊んできたどの男にももう相手にされなくなった百戦錬磨の女が
次は新鮮な若い女を調達する「女衒」と化す。
「女衒」女は、「手下」の知り合いの女の子に普通の「友達」を連れてこさせる。
「手下」は、自分が何をさせられているかわかっていないので、
素直に「すごくいいことがあるから、一緒に行こう」と、友達はさほどの警戒心も抱かず誘いに乗る。
私は「女の子の友達」ほど危ないものはない、と思っている。私にも経験があるので。
私のときは1回目は大丈夫だった。「こんな世界もあるもんだ」と不愉快なこともなく帰った。
ただ、なんとなく嫌な感じがしたので、2回目は断ろうと思ったが、
友達が「○○さんが、どうしても(私の名前)ちゃんをつれてきてって言うから」としぶしぶ行った。
2回目も何もなかったが居心地が悪かったので早めに帰って、その次はなんと言われても行かなかった。
そのとき、そのお友達は半泣きになって「(私の名前)ちゃんを連れて行かないと○○さんに怒られる!」などと、
今思えば、彼女はいわば「洗脳」状態にあったんだろう。その後、その友達との交際は切れた。
別の女の子がその会に連れて行かれ、輪姦、強姦的な事件があったようで、しばらくして数人が心を病んで大学を辞めた。
心を病んでどうにも出来ない状態に陥るのが私だったかもしれない可能性は、この年になっても忘れられない。
はあちゅう女史は女の子を「お友達」以外に調達しなかった、とは私は考えられない。
「やってない、謝った」「私も被害者」といわれても、全員に本当に謝れているのかな?
不都合な事実は都合よくすぐ忘れてしまうような人が。
私は危ない橋を渡らずに済んだけれど、心の痛む記憶が呼び覚まされて、やはりはあちゅう女史の味方にはなれない。
岸氏は、彼女が唯一思い通りにならなかった人間であるが故に深く恨み、記憶に残して、機を見て鋭く刺した、
はあちゅう女史のそのお手並みの見事さには感嘆するが、私はやはり彼女が好きではない。
はあちゅう女史は怖い、それだけを学習した。