年末雑談。

昨日、NHKのニュースではあちゅう女史をお見掛けしたのに続き、朝日新聞でも取り上げられているのを見て、
岡田斗司夫をいまだ執筆陣に使っている朝日新聞がなあ、と感慨深い。
言ってはいけない言葉「おま・いう」がふと頭をよぎる私、、彼の人生相談回答は面白いんだけど。
数年前、相当な件数の「岡田斗司夫にセクハラされた!」がネットで話題になったときは、
華麗にスルーだったのに比べれば隔絶の感があるとはこのことか。彼は来年も朝日新聞で仕事するのかね?
NHKが「me too」問題を取り上げるのに、はあちゅう女史を使うのは蛇足と言う気がしないでもないが、
考えてみれば彼女は「あさいち」のゲストコメンテイターとして出演したこともあるので仕方がないか。
報道内容も、彼女のかつての勤務先「電通」も「岸」の名前も出していなかったので穏便だ。
しかし朝日新聞では「電通」「岸勇希」の名前が出ていた。記事の執筆者は山本奈朱香・三島あずさ氏。
この紙面の書き方は、いかにも朝日、アエラ、ハフポ、的でうんざりする。
どちら側かに一方的に味方して煽る書き方は、ジャーナリズムではない。
「共感が広がる一方で、中傷もたえない」の漠然とした書き方では、
はあちゅう女史に反論した側が、何を問題にしたか、まったくわからない。
はあちゅう女史の件においては、中傷と言うよりは、当然声を上げてもいい人が声を上げた、
「今、このときにその問題を出すな!」の人間は多かったようだが、
それをかつてのはあちゅう女史にも会社側が求めたのではないのかな。仕事の出来る「彼」をかばうために。
セクハラが隠蔽される構造を同じように当てはめるのにためらいがない、
別の意見を精査することなく乱暴に「中傷」と一括りにする、その乱暴さははたして「メディア」といえるのか、
まあ、「メディア」とは、元々「魔女」を意味するものではあるが。
セクハラに関してはいつでも声を上げてもいい、「今だ!」と思うのも、
はあちゅう女史が岸氏が大企業「電通」を離れた瞬間を見計らったように、してもかまわないことだろう、
それが本当に「平等」と言うものだ。
それを嘘でも「公平」であるべきメディアが認めない姿勢を私は支持しない。
朝日新聞の購読をやめたいとかねがね思っているものの、マイダーリンが連載小説を楽しみにしているのでなあ。
私も「まったん」の紀行文を楽しみにしているわ、朝日新聞は文化面だけでいい、と思うことが時々あるわ。
「me too」問題に話をかえるが、私は「男・男」のセクハラ同様、「女・女」のセクハラも
もっと声に上がってほしいと願っている。
はあちゅう女史が、クソだとわかっている上司に「友人」を斡旋したように、
同じようなことをする女性はこの世の中、大勢いる。
そして被害者は加害者が「同性」だけに「人間関係」のために黙らされる。
男が男に童貞であることを馬鹿にしていいという環境にも反吐が出るが、
女が女に「いつまでも処女なんて恥ずかしい、早く捨てろ」と言う環境も存在することをここに書いておく。
女でもセックス経験を自慢する輩はいて、それを未経験側に妙に押し付けてくる。
はあちゅう女史はそういう人間たちの先鋒だと思っているし、朝日新聞系列も、やたらと婚外セックスを推す。
そのこと自体は反対しないが、強要するのはどうかと思うこともここに。
やっぱ、クソだわ、朝日新聞