東京都に住んでいる子供たち全員が「東大」に入れましたっけ?

ってことを考えさせられる記事のブコメが力技で
「こんなにかわいそうな努力家を馬鹿にするのか!」とやってたのが趣き深くて、昨日はつい長々見入ってしまった。
自称「底辺出身」とは「中学」とのことだが、
「あ○りん」地区的なところで育ったのかと思えば、単に「美術館がない」程度で私は「お察し」と思ってしまった。
浪人して文3で現在ニューヨーク留学中(?)の筆者の上昇志向は凄まじい、はよくわかった。
何が何でも東大に入りたくて、入ったら、自分なんてたいしたことなくて、とは
地方出身の優等生にはよくあることで、気の毒に思う。
と言って、出身地を踏みにじっていいわけではないからね。
私がこの手の「自称底辺出身者」を残念に思うのは、
「大学に入れさえすれば道が開ける!」かのように煽ること。
そんなことは「ない」ってことが東大に入ってよくわかったからこそ「地域間格差がぁ!」ってなるんじゃないのかね。
この手の人間に見えている「東京」はごく限られた範囲内でしかなく、彼は自分の「見たいもの」しか見ていない。
「筑駒」や諸々の名門中高一貫校に入れる家庭の子供なんて東京でも一握りだ。
私には東京都内の地域格差、家庭格差のほうがより深刻に思える。
住んでいる「区」あるいは「中学」でほとんど将来が決まってしまう。
その深刻さは「自称地方の底辺出身者」より悲惨なんじゃないか。
少なくとも、筆者は行った中学で大学まで制限されたわけではない。
私の娘たちがそうであった様に。
文化資本」が限りなく多いはずの都会で育っているのに、「東大」に入れる人間はそんなに多くはいない。
結局、都会では情報があまりにも大量すぎるので、親も翻弄されている、いわんや、子供においておや。
だからこそ中学から「私立進学」の細分化か、と私は納得している。
都会の上層部は果てしなく豊かではあるものの、その下にぱっくりと開く下層部の底知れない地獄のような状況も
私には見えて、それを語る人間があまりネットにいないのはそれだけ深刻に彼らの状況が劣悪なんだろう。
本物の絶望には表現すべき言葉がない。
ところで東京都内でもいわゆる「地元民」の意識の低さには時々驚かされる。
旧帝大」である京大や阪大を「素」で知らない人間は結構いる。
聞いたことがあっても「地方大学」な扱いで、早慶上智・マーチや日東駒専より遥かに上がわからない。
ま、関西の地方都市には「東工大」や「一ツ橋」を知らない人間はいるんだけど。
話を戻せば、東京に出る地方出身者が優秀で、その優秀さがさほども珍重されない状況が悔しいのは確かだろう。
でも、地方に育ったメリットが全く見えない人間が本当に優秀かどうか、疑問に思う。
優秀で豊かが都会の東大出身者にしかいないわけではない。
阿部幸大氏は少なくとも10年近く東京で勉強をさせてもらえてさらに現在はニューヨークにいる、
たとえ釧路出身であろうが、じゅうぶん以上に恵まれたご家庭の出身なので「底辺」ではないだろう。
それでも「文学専攻」者はこんなことを書いて注目を集めるしかこの先生きて行く手段がないのか。
彼は専門とは別分野の「地方格差問題」で大学にポストをもらうつもりなのか、
こういうなりふり構わず這い上がろうとする部分が地方民の「意識の低さ」かもしれないな。
だから都会の生え抜きから地方出身者が嫌われるのかも。
「地方出身者はこんなにかわいそう!」がかもす独特の泥臭さは田舎の人間にしかないものなんだろう。
しかし、それを「恥ずかしい」と考えるど田舎の底辺が存在する事実をここにひっそりと書いておく。
盛りすぎ注意、を喚起するブコメがトップに来なかったのを残念に思う。業者が入るとすごいな。
反発も集めるいい加減な「盛り」方は狙ってやったものかもしれないな、
つっこみどころがあるほど、注目は集めやすくなるからね。
正確よりはセンセーションか。
それにしても「私も地方出身ですごくがんばったからわかる!」のブコメが異様に多いのは
「自分が一番かしこくてかわいそう」な人たちがはてなに多いからかと感慨深かった。
「底辺からがんばった、俺、すごい!」が少なくとも千人近く、はてなにはいるようだ。
そんなに「がんばった」人間がいる割には、はてなのレベルは相変わらず低いけどね。
「自称底辺地方出身でこんなにがんばった私最強」教が出来ればはてなで入信者は山ほどいるだろう。
宗教と自己啓発が常にはやるのが理解できたような。
私は不信心ものなので、どちらにも縁がなさそうだ。
ところで、彼も私もつい「底辺」と言いたがるが、田舎の意識の低い中学からでも
それなりの大学に進学するための高校に行く子供たちは本当は「底辺」ではない。
いやな言葉だが「上澄み」だ。
「上澄み」の自覚をもう少し持たなければ「格差」を正しく理解できない気が最近している。