ネット雑記。

NHK番組が発端となった「貧困女子高生」炎上は煽り屋のおかげでうやむやになりそうで、よかったんだろう。
こういう自爆で火消しは手法として有効か、ネットは誠に恐ろしい。
それより私は格差問題で一躍時の人になった湯浅氏の記事のほうが気になった。
なんだろう?この違和感。ものすごく上手にごまかされているような。
湯浅氏もそうだが、「貧困」でもアイフォンユーザーで高額のレジャーも「あり」だと考える人ははてなにも多くいるようだ。
私も基本的には「あり」だとは思っている。ただ「貧困」を自称していいのか、私は大いに疑問に思う。
湯浅氏の説から考えると、どれほど経済的に恵まれた状況に置かれていても「貧困だ」と本人が思えば「貧困」であるし、
高校に通うことすら出来なくても、その本人が「貧困ではない」と思えば「貧困ではない」のかもしれない。
「相対」と「絶対」を持ち出されると「何でもあり」の世界に私は思うが、言葉の世界は「何でもあり」だからなあ。
私は番組を見ていないのでなんともいえないが、進学費用の50万円を捻出できない、とのことで、
最近は「奨学金」と言う名の「学生ローン」が借りられないとは、保証人になってくれる人がいないのを気の毒に思う。
「よくもまあ、こんな大学に進学するのに金を貸すな」の「奨学金」は存在して、
たいていは親が保証人になって返せなかったときは親がかぶる「借金」になるわけだけれど、
十分資産があっても無利子の学生ローンを子供に組ませて、大学にかかる費用で利息を多少稼ぐ、
そういう「金銭教育」をするご家庭もあったりして、私はこういう制度利用は「どうかな?」と感じている。
まあ、これも「人それぞれ」だな。
女子高生の話に戻せば、冷静に考えて、高額のレジャーを我慢できない子供とその親の「保証人」になってくれる人は
彼女たちの周囲に存在しないのは私にはよくわかる。誰もそんな「余裕」などない。
それが「貧困」だといえばそのとおりだろう。
「その学校に行って、卒業して、その借金は自分で返せるのか?」が「見えない」子供の「保証人」になるのは至難の業だ。
貧乏人がレジャーを楽しむな、とは言わない。
ただ、何かがあったとき、周囲の人がどう見ているか、その「意識」は持っておくべきではないか、
「この子ならきちんと借金を返せるだろう」と思われたら、保証人になってくれる人もいなくはないはずだが、
その「自助努力」の部分を全速力で、「貧困=かわいそう=かわいそうは絶対正義」の善良な人々はスルーする。
「貧困」をなくすための自助努力を「しなくていい」ものにすると「貧困」はたぶん、なくならない。
先日、ネットで拾った言葉に「格差」の次の流行語が「貧困」だとあって、
結局「格差」であれ「貧困」であれ、それが話題になることで恩恵を受けるのはそれを話題に持ち出した側の人間たちで
あまり豊かとはいえない多くの人間の役には立っていない。
公立校の窓ガラスは割れたまま放置されても、何故か私立小中学校に行く子供たちに補助を出す。
それが「格差是正」で「貧困を救え!」か、と私はしみじみ思う。
「格差」是正するつもりがあるなら、公立小中学校の制服や給食、修学旅行の無料化をはかるべきだけど、それはしない。
お金がかかりすぎるから。公立校は多いからね。
私は公教育が日本から完全に消える日が来るのではないかと思うことが時々ある。
それを加速させるのは何で、誰なのか、を考えられる冷静な人間がネット論者の中にあまりいないのを残念に思う。