ああ、か弱き「知性」派よ、、

内田樹先生の「公教育は終わった」節を読んで、中学受験「営業」はこの時期から始まるのか、と感慨深い。
不合格者が多いほど、「受験料」は確保できるものね、、、学校経営は本当に大変。(涙)
「公立校はもうダメ」は20年ほど前から繰り返し聞いてきて、その中で私は自分の子供を「ダメ」な公立で育てていたけれど
特に子供がダメになったという感触はない、まあ、あんまり親がダメすぎて、子供のダメぶりすら見えないのかもしれませんが。
それはそれでいいんですよ、ダメでも人間は幸せに生きていけるから。特に私は支障なく人生を歩んでいるしね。
つか、本当に内田先生はいいのかね?
「公立がダメ」だから「私立に逃げます!」みたいな考え方の保護者の子供たちばかりが学校に集まるんで。
「この学校のここがいいから、子供を学ばせたい!」が基本じゃないのかな。
私は私立の良さも知った上で、あえて子供に公立校で学ばせることを選んだ、
公立校の良さなんかどこにもない、ってなんでそんなことが言えるんですかね?その根拠ってどこにあるんですか。
少なくとも内田先生のあのエントリのどこにも見当たらなかった。
私は子供を公立で学ばせたからこそ、その悪しき点も理解できるし、私立校で学ぶことの意義もわかる。
ただ、私は「私立こそダメ!」と別のコースを否定して、「公立最高!」と言うつもりはない。
他人の選択を否定することで成り立つ肯定にどれほどの「知性」があることだろう、
否定の裏返しの肯定が内田先生の「知性」なのだとしたら、なんと「知性」はか弱きものであることよ。
たしか内田先生は旧制高校である日比谷高校から東京大学にお進みになったと思うが、
輝かしい「公立」で学ばれたはずの内田先生がこうも外したことをおっしゃるとはその時期から「公教育」ってダメだったんですかねえ、、、
ならば「公立はダメだ」は今に始まったことではない。もうそれは「いつか世界は滅びる!」並みのうわごとでしかない。
本当に「公立はもうダメ」説って、「アルマゲドン」よねえ、、それさえ言っておけば、人ばひれ伏す、みたいな。
内田先生は以前「知性」について素晴らしい説話を書かれたように思われるがその輝かしさがあせるほど、くだらない話を読んで
「知性って結局一体何?」と思ったのでした。
公立教育の良さは、私が思うに「雑多さ」、どれほど規制をかけようと統一されきれない「混沌」にある。
ある程度、選別された家庭の子供が集まる私立校の環境は決して悪いものではないけれど、
様々な家庭の子供たちが同じ地区に住むだけで集まるという、有無を言わせぬ混沌を、子供の時期に味わっておくのはそれほど悪いことでもない、と私は考える。
これは多分「知性」ではなく、私の「経験知」、人生も、世界も、雑多で混沌、その中で人間は生きていく。
知性派はきちんと整理された理想的世界でしか生きていけないのでしょうなあ、、なんとか弱き存在である事よ。