いやはや。

「意地悪大国ニッポン」なる見出しがあったのでどこかと思えば「週刊朝日」、「お前が言うな」といいたくなるんだが。
サブタイトルが「暴言・炎上だらけの社会」で、はてなで大人気の内田樹先生が「炎上の仕掛け人が高収入のオッサン」と
ハテ、これはご自身のことをおっしゃっているんだろうか。
次に津田大助氏の名前のあとに「マスコミが一億総ツッコミを助長している」
本当にそういってるのかどうか読んでないので知らないが、ネット用語の「ブーメラン」を思い出したりして。
なんとなく自分が今までやってきたことを他人にされたらいやだという、まことに素直で人間的なご意見をわざわざネット出身の人が紙媒体で宣言するとは、
人間というのはある程度「儲かる」とより「欲しく」なるようですなあ、、、この手のご意見は「後進を潰せ」と同義語であったりして。
私がこの手の人の「炎上批判!」にうんざりするのは、言われて当然の「批判」をも「炎上だ!暴言だ!」とまとめて片付けようとするところで、
内田樹先生はさほど知識が深いわけでもない分野に無理やり手を出してはその筋の専門家にぶっ叩かれるという、
これは「炎上」というよりは専門家による「訂正作業」に思われるが、その「違い」をご本人が理解できているのかどうか。
津田氏にしても私はこの方をあまり詳しく知らないが、ネットでちらりとすれ違ったときの印象は、ご自身につながりのあるお友達が何をしでかしたとしても、
「オレの友達だから!」で突っぱねる、大変「男気」のある方のようだが、
「男気」が「公平」か、といえば、そんなことはまったくないんで、「言論」とはいったいどういうものなのか、考えてしまうなあ。
私は「オレに「ツッコミ」はなしでね!」な「アンタッチャブル」な存在になりたければ宗教家にでもなることを薦めるな、
あなたが常に絶対的に正しいわけではない、言われて当然の批判は受け止めるべきだし、理不尽で無意味な炎上とは徹底的に戦うべき。
炎上との戦いは、言葉しかないし、究極には行動しかない。
言葉で手におえなければ時期を待つ「行動」にでて、ある程度落ち着いた時期に再び「言葉」で真実を語る。
そのためにも、ネットは今のままでいいような気がするけどね。
ネットも大分怪しくなった世界だけれど、それでもまだ言葉に誠実な人間は存在する。
最近は「炎上だらけ」というほど、さほどの事件も起こってない気がするな。
イクメン元議員のことが「炎上」となるなら、「炎上上等」だし。
「幸福感の欠如をバッシングで穴埋めする日本人」の見出しもあるが、
幸福感にあふれていても、思わずつっこまずにはいられない言動をする人間がこの世の中には存在するものよ。
それにバッシングは、アメリカのほうがすさまじいように思うがな。何でこういうときだけ「日本人」と総括りするのか。
近藤誠医師に「つっこみ」をする人間がいなければ医療現場は無駄に大混乱し続けるんじゃないのかな。
最近朝日新聞系列の「アエラ」の見出しが若干おとなしくなった気がしていたが、今度は「週刊朝日」か。
週刊誌に「炎上」商法を覚えさせたのはネットの功績か、という気もする。
ま、私のこういう正直な意見も「意地悪!」と片付けられれば「そうですか」と受け止めるが。
そういえば最近、当然の「批判」を「嫌われた!」「意地悪された!」的に泣き騒いだ若手のネット系女性ライターがいたな。
こういうスタイルが流行っているのかな?
「意地悪大国ニッポン」なんて見出しのあまりにもの「情感」に「言論は死んだ」という気がする今日この頃。
個人の感情を無視してはいけないが、すべてを感情でごまかそうとするやり方は十分批判に値する気がするな。