日常。

昨日、保護者からの「学級崩壊」の意見を読んで、ブコメで叩かれていたので少々気の毒に思う。
ただすべて先生の資質か、というと「そうではない」はやはり崩壊を経験した保護者である私も思うので、元ネタのエントリは正しい。
先生一人に対して、生徒が40人前後、その保護者の数はさらに多いわけで、保護者側の監督責任も無視はできない。
私はいつも思うんだが、公的機関を利用する場合、利用者はある程度の「マナー」を心得るべきで、
学校に対する「マナー」というのも、親が子供にしつけるべきなのだよね。
どれだけ悲惨な先生であっても「見て見ぬふり」をするのは生徒と保護者側の「マナー」なのよ、、、(涙)
公道でどれほどおかしな人がいるからといって指をさして笑ってはいけないように。
癖の強い子供をある程度矯正するのが「公立小学校」という公的機関の役割じゃないか、その点で、お母さんは甘かったかな、という気がしないでもない。
ただ、たいていの頭のいい子供は癖が強いので、親が一番大変なのだよね、とりあえず、今は落ち着いたようでよかったね、と。
わが子たちの学級崩壊は言うも悲惨だったが下の子が怪我をさせられた時以外、私たち親子は静観派。
崩壊と混沌の中を生き抜くすべを教わったわ、親子ともども。まあ、それも「学校」という公共の施設が教えてくれる大事なことのひとつということで。
世界は楽園ではなく、混沌としているからといって何をしていいわけでもない、
ただ大人が情けなく崩壊する姿を子供が見なければいけなかったのは今思えば、子供に気の毒だった。
ブコメへの反論を読ませてもらったが、つまらない先生もつまらないなりに受け入れる教育も私は必要だと思うので、
「相手が面白くないから何をやっても仕方がなかった」には賛成しかねる。
学校では「儀礼」を学ぶことも必要よ。
そういえば、私も学校に「見張り」にたったなあ、実のところ強烈に怒り狂っている保護者をなだめるためにつきあっただけだったりして。
この先、中学、ひょっとしたら高校まで付き合うかもしれないご近所の保護者の恨みを買うより先生一人に我慢してもらうか、という「大人の判断」よ。
「担任を変えろ!」を学校に要求する強硬派保護者の熱が多少冷めたところで穏健派保護者で個別に先生と話をした。「大人」として気の毒に思う部分も大いにあったので。
それで「これははしにも棒にも」というのがわかったりして、でも少しは何かが変わるのだよね、
「悪いものは悪い!」と切り捨てるだけが社会ではない、のが私の考え方でもあって、それが正しいと私は信じている。
私の地区では「出来ない先生は追い出せ!」の強硬派の保護者はみんな中学から子供を私立に行かせた大変教育熱心なかたがたで
「理想の教育」があったんだろうと思う。
ただ中学から別のところに子供を行かせて「だからあの小学校は!故に中学は!!」と言いふらすのは、それでも公立中学に残ってやり過ごしているこちら側には迷惑だった。
なんと差別心を撒き散らすことか、とあきれた。
どんな先生に対してもお行儀よく振舞っていたわが子たちもいい子に育ちましたよ、ご近所の評判のいい私立中学に進学した子供より、はるかに学歴も高いです。
リーダーシップもちゃんと取れます。
ぶつからずにやり過ごす、も大事じゃないかな、が私の意見。