服装談義。

「刑事フォイル」や「孤高の警部 ジョージ・ジェントリー」など英国ミステリ・ドラマを見ていると、主人公の服装が実に「紳士」していて感心している。
「フォイル」や「ジョージ・ジェントリー」は特にそのスーツ姿がすばらしい、贅沢すぎることはなくとも上質な素材で見事に体に合うように仕立て上げられていて
ため息が出るほど美しい。この美しさの一部は「スーツ」というものの「形式」が確立しているためなんだろう、
男性はこういう「形式」をまとうことが出来てうらやましい。
上の娘が仕事で人前に出るようになったらしく「就活スーツ以外のスーツをあつらえないといけなくなった」と、
今はまだ1年未満の新人なので「就活スーツでも十分」といっているものの、2年目のそれらしい「スーツ」とはどういうものか、
お母ちゃんは仕事をしていないので女性の「スーツ」事情に疎いのよね、こんなところでも「専業主婦」というもののデメリットもあったりして。(涙)
それはともかく、男性がいまだ社会的には高い立場につけるのはこの男性の「スーツ」という、1940年代であろうが1960年代であろうが
(フォイルとジョージ・ジェントリーの時代設定)変わることなく存在感のあるスタイルがあるからではないか。
女性にはここまで確立した「スタイル」はない気がする。
男性のスーツスタイルも微妙に変わるが、女性ほどの変化はない、こういう点で女性は「不利」という気がするな、
「これさえ着ていれば!」スタイルが働く女性には、まだ、ない。
考えてみれば、シャネルスーツが革新的であったのは少なくともそういう「スタイル」を提案したためであったか。
100年ほど前の「動くための服」のスタイルが、いまだ女性用スーツスタイルのひとつとして生きている、
それはココ・シャネルが天才だからか、それとも女性にとって「スーツ」というスタイルがその後もそれほど必要とされていなかったせいか、
その両方なんだろうなあ、、情けないことに。
「男の世界」としてゆるぎないスタイルであるスーツに匹敵する女性のスタイルってなんだろう?さっぱり思いつかない。
考えてみれば「アパホテル」の社長のスタイルは男性のスーツスタイルに対抗したものなのかも。
でもそこに「形式」はあっても「美しさ」はないのよね、、、ご本人には十分その役目を果たしているのだろうが。
先日読んだ「服を買うなら捨てなさい」の中では「自分が「おしゃれ」に見えるスタイルを見つけたら「マンネリ」といわれてもそれにとことんこだわれ」的な意見があって、
これはある意味働く女性のための「男性のスーツ姿に匹敵する自分のスタイルを確立せよ!」という提言かもしれない。
「白衣」というのもそれだけで「信頼」が買えるスタイルで、それを脱いだとき、働く女性は当惑するようだ。
勤務医をしている従妹たちが仕事の延長として「講演」を頼まれたとき、服装に四苦八苦しているのを他人事と見ていたが、その苦悩が今になってわかった。
たずねられたとき「好きな服を着ればいいんじゃないの?」とぼけたことを言ったことをいまさら反省。
専業主婦である私が着る「スーツ」と彼女たちが必要とする「スーツ」はまったくの別物だからなあ。
女性にとっての「スーツ」は難しい、ということをメモ。