における「中年男」の「可愛げ」問題について。
「刑事ヴァランダー」の何が気に入らないかというと、
やはり「ケネス・ヴァランダー」には私の好む中年男の悲哀という名の可愛げが足りないという気がする。
もう「何のために生きてるんだ?」とひたすら劣化しつつある人間の、「それでも生きて行く」感がたりないんだな、
「ケネス・ヴァランダー」は「かっこいい」から。
恐ろしく古い映像であるにもかかわらず、それほど出来がいいとも思われないシリーズにもかかわらず
「フロスト警部」がなぜ、あんなにも長いシリーズであったか、
主演俳優のあの「どうしようもない中年男のうらぶれ可愛げ」感があったからではないか。
あの小汚い、若い世代には「親父」としてむやみやたらに邪険にされる風貌の、人生で一度も脚光を浴びたことはなく、
この先も浴びることのないありふれた親父の、でも自暴自棄になるでもなく、「とほほ」と背中を丸めて姑息に生きて行く、
圧倒的に「よくいる人間」感が、独特の「中年男の可愛げ」となって、迫ってくる。
「フロスト警部、カンバーック!」と叫んでしまうわ、うらぶれた小汚い中年男、大好き。
くたびれたジジイ直前のオッサンの可愛げは永遠である、説を私は唱えよう。
「刑事フォイル」とか「孤高の警部ジョージ・ジェントリー」とかは昔から「イケメン」、
そして今でも「イケメン」な稀なるオッサンだから「素敵!」となっても、当たり前なのだよね。
年をとっても「イケメンは年を取ってもイケメン」という、永遠の真理の前で、
打ちひしがれなければいけない無数の「若いときも「イケメン」ではなく、今も同じく」の人びとの絶望に何があるかといえば、
「それがどうした!」と開き直って生きていく、ある種の矜持、が「中年男の可愛げ」のような、
ケネス・ブラナーみたいに、若かりしころからイケメンで、今でもイケメンのくせにイケメンじゃない振りをする奴には我慢できない!
ってところか。
「お前、そこは譲れよ!」と思うんだよ、「くたびれた中年男には中年男のよさがある」すら、独り占めしようとしている、
やはり、お前は「ギルデロイ・ロックハート」だよ、などと、
好きなのか、私、実は「ケネス・ブラナー」好きなのか?という気がしてきたわ、こんなにだらだら書き連ねて。
「ミステリチャンネルにおけるテレビの高齢化問題について」を書こうと思っていたが、
マイダーリンを見て「私はくたびれたオッサンが大好きだ!」と思ったので、つい、熱く語ってしまった。
ちなみに、私はくたびれたおばはんも大好きです。自分、大好き、ということで、実はケネス・ブラナーも好きかもしれん。
大丈夫か、私。終わり。