雑記。

ネットで「専業主婦」を叩く男性層と「フェミニズム」を叩く男性層がほぼ同じなのはわたしには不思議なのだが、
要は「自分の気に入らない女」を叩くためなら何でも良い、と言うことか。
なんだか、某女性社会学者が自殺でもすれば大満足、って感じだな。わたしの目には「いじめ」にしか見えないけどな。
「やりすぎ」と言う言葉を知っているか?と最近見かける事象には多い。
先日の「新潮」問題についても「正義は我にあり!」ならば、何でもやって良いのか、
私はそのためらいのなさは無慈悲にしか見えないので、正直うんざりした。
と、言うと「お前は差別者かぁー!」と鬼の首でもとったように言うやからがいるが、
鬼でも首を取るのはどうかと思うのが最近の私だし、私は鬼ではないのだが、
ひとたび気に入らないものを「絶対悪」と名指せばなんでもできる、死なせたって、当然の帰結のよう。
まあ、死なないけどね、でもゆがめられた気持ちはどんな形で噴出するのか、私はそこを心配する。
どれほど気に入らなくても、どれほど間違っていても、
それをとことん追い詰めることで得られるのは奇矯なエクスタシーだけだ。
それに惑溺する人間は、また異常者であると言う意識を持っているのか。
もってなさそうなんだよな、
今、大喜びで自分の気に入らないもの全てを「フェミニスト!」と言って足蹴にしあざ笑いあう人間は。
かつて「専業主婦」と言って馬鹿にする男性層をみて不思議に思ったのは、
その「専業主婦」はそれを雇い入れる男性がいないと存在しえないのに、雇う側は叩かなかったこと。
「男は叩かない」のかね。「男は被害者」だからかね。いやはや。
しかし、「男は被害者」と専業主婦を撲滅したがる男性陣が、熱心に家事や育児をして働く女性を慰撫するところを
私はネットでほとんど見たことがないのだよね。
働く女性のことも排除したり見下したりして、君ら、よほど自分が好きで好きでたまらないな、と言いたくなる。
この手の男性たちにとっての「フェミニズム」は
「女は外でも働かせて「やる」が、家事も育児も完璧にしろ、稼いだ金は俺に使え、俺の金は俺の金、
だってオレは「男」で偉いんだから!」を保障しないといけないもののよう、
フェミニズムの最初の段階は、女性が経済力を持つことで、それが働く女性の助けになるはずだったのに、
単にそれらが「俺の稼いだ金を俺だけが使う権利」「女が稼いだ金は男であるオレに貢ぐためのもの」
「その代わりに子供は産ませてやる、でも子育てはしない、だって俺の子供を産めたんだからな、ありがたく思え」
になってしまった現実をネットではしみじみと。
ま、ネットで見るだけのことを羅列してみたが、この手のことは私世代より上の働く女性の家庭には
時々見かけられたことなので、それがこの手の連中の「昔は良かった」になるのかな。
わたしより上世代で本当にあったこの手のご家庭の「末路」はまた後日。おお、「東洋経済」風だ。はは。