雑談。

「モテ」指南を読むと私は職を転々としている人の話を思い出す。
新卒のころから名だたる企業に在籍しながら「3年」持たず、華麗なる「職歴」だけを積み上げていく。
ひどい人になると2年おきに転職していたりして、いわゆる「セルフプロデュース」というのか、
自分を「盛って」能力以上に見せかけるのだけが上手で実際の「仕事」はまったく出来ない。
そもそも仕事を「続ける」能力がまったく「ない」、またその能力を培う努力すらしない。
しかし、本人はその続かない経歴を誇っていて、その「転職スキル」の高さに「だまされた」大企業の名前の多さにご満悦らしい。
人を採る立場になった人の話を聞いていると、「職を得る」能力と「職を続ける」能力は別物のようで、二つを併せ持つ人はめったにいないようだ。
「モテ指南」も「数」を稼ぐために「相手」を「ゲット」までは行くが、その関係を続けることができない、
要は「続けるだけの能力がない」ことが本人にはまったくわかっていない、「続かなさ」を妙に誇るのも「職歴」が華麗な人と共通するような、
また「転々とする」能力が「期間限定」なのもよく似ていて、いくら「転職スキル」が高くても、その能力が有効なのは長くて30半ばまで、
それ以降、まず大企業に転職はできなくなる。「転職スキル」以外、何もないからだ。
同じように「モテ指南」も有効なのはせいぜい30半ばまで、それ以降は、自尊心を満足させる相手を得られる確率はぐっと低くなるだろう。
そのとき、彼らは何を思うのか?「自己満足」は確実に残るだろうが、「それだけ」しかない気がする。私にはわからないが。
「モテ」指南が悪いこととは思わないが、無駄にそのスキルだけを積み上げるのは何かが違う、とどこかで気がつくべきじゃないか、
それができない人は深刻な心の障害をもっているんじゃないか、そんな気がした。
「モテ」指南に関する意見を読んだところでは、「若い女性が知人男性から「トイレを貸して欲しい」といわれ家に上げたらレイプ被害にあった」
話が紹介されていて、人の善良さに付け込む存在にぞっとした。
こういう悪人は確実に標的を選んでいる。
大昔から不親切な私は、さほど親しくもない人間が外で漏らそうと知ったこっちゃない、
我慢できないほどの尿意なり、便意なりを赤の他人の家に上がりこんですませようなんて奴にトイレを貸して
「う○ち」や「お○っこ」を飛び散らされ、その掃除をするのが自分なのは絶対いやだ、とすぐ考える。
私の娘たちも「他人の家でくっさい「う○こ」しようなんて、とんでもない」と怒り出すほうだ。
悪人はこういう人間をわざわざ狙わない、突然トイレを借りたいと言い出した人間を「恥ずかしいだろう、気の毒に」と思いやる善良な人を襲う。
「やさしさ」という「徳」に付け込んでくる人間に「自衛」は不可能だ。
以前、性の関わる犯罪すれすれ行為をざんげのような形で書きながら妙に誇っている人間のところを読みかけて挫折して、
それを最後まで読み通した人のところで詳細を知って驚愕して、理解できたのは、その手の悪質な人間はなぜか「人を選ぶ」能力が高いということだった。
その才能のような奇妙な能力はどこで培われるものか、いつか解明されるのを望む。