それは本当に「友達」と呼べるのか?

二人の娘たちが一人暮らしを始める前に、「これだけは」と教えたことがひとつだけある。
「若い一人暮らしの女の子の部屋にずかずか入ってこようとする男を信用してはいけない」と。
私自身、学生時代一人暮らしをしてきて、身をもってこの真実をよく知っている。
さほど親しくもない男性が私が一人暮らしをしていると知ったとたん、やたら部屋に遊びに来たがったり、
夜中に「近くまで来たから」と部屋に上げろとドアをどんどんされたこともある、当然、私は決してドアを開けることはなかった。
「友達」ならば、私に迷惑がかかることはしないからだ。
実際、学生時代の異性の友人はサークルのコンパで遅くなったとき、部屋の近くまで送ってくれることはあっても、決して部屋に上げてほしいとはいわなかった、
むしろ、「私の評判に関わる」と夜、送るにしても、人から見られて誤解されないようにわざわざ離れて歩いてくれていたりした。
今にして思えば、彼らは「若い女の子・一人」がどれほど弱い立場であるか、よく知っていたのだろう、
私が「友達」と呼べる「信用」出来る人間はそういう人たちだ。
私は「異性」を「友達」に持つハードルが下がるのは決して悪いことだとは思っていない。
ただ、それには「性差」を意識した「マナー」が必要ではないか。
私がネットで読んだ「友達だと思ったから部屋にあげてやったのに!」的な発想をしている女性は、「無害なやつだと思った!」などと、
相手が「友達」であるにもかかわらず「私にとって、お前なんか性的魅力はゼロだよ!」と相手をどこかで見下してはいる様に思う。
「友達」の「異性」としての魅力を侮る、その奇妙な見下し感はなんだろう?「友達」と称しながら「上下」関係があるかのようだ。
正直、「その相手を「友達」と思っていないのは、あなたのほうじゃないか?」と聞きたくなる。
もちろん、部屋に入ったら即セックス、なんてのはばかげた発想だ、それに相手が嫌がっていることを無理強いする人間を「友達」とは言わない。
しかしある意味「マナー違反」をした人間にかかるペナルティーをすべて相手にだけ押し付けるのは、傲慢ではないか?
相手に誤解させる振る舞いを自ら招いておきながら「すべてお前が悪い」では、あまりにも身勝手すぎると私は思う。
ここではっきりさせておきたいが「セックスの主導権」は妊娠する恐れのある女性側にあってもいいと、私は思っている。
心臓を二つ、身の内に抱く、ということは女性にとって非常に重い現実だ。
ただ、その「主導権」には責任が伴うということを、どれほど女性は意識できているか、
単に異性の「友人」と称する相手を翻弄するのみに使われるのではただの「パワハラ」にしか私には思えない、他者を勝手に侮るな、と私は言いたい。
世の中には「友達」の意識が異様に低い人間がいて、2〜3回話しただけで「友達」と称するようだ、
自分は「友達」としての義務を果たすことはないのに、相手には「友達」として多くを期待する、その馬鹿馬鹿しさに、私はこの年になってもうんざりする。
「友達」という肩書きの元に、どんな非礼も許されるかのように信じている勘違い人間は多い、
故に守らねばいけない「マナー」を意識して欲しいと私はかねがね子供たちに願ってきて、そのマナーを子供たちはわきまえてくれたようだ。
いずれ人生の伴侶となるだろう相手を「特別」とするためにも、異性の友達への「マナー」は必要だ。
私の配偶者は私と婚約するまで、私の部屋には決して上がりこまなかった。
結納、入籍・式の日取りが決まってはじめて「では」ということでかしこまって部屋に来た配偶者との思い出を私はとても大切にしている。
私の配偶者は今でも良き友達でもある。