読書メモ・「生きて帰ってきた男」・終わり。

ロシアが「シベリア抑留」が記憶遺産となることに異議申し立てをしているそうだが、あれはソ連が悪かったというより、日本国が自国民を遺棄した結果なので、
その記憶が残されるのは「南京事件」より日本にとっては自虐的なんじゃないか、国というのは時々不可思議なことをする。
収容された人はみんな日本を恨んでるよ、の現実をもっと記憶に残しておくべきだろうな。
というわけで「生きて帰ってきた男」感想の続き。
「アクチブ」が活発化されていやな思いをしたことも、本の語り手の小熊謙二氏はさらりと語る。
この「さらり」感はどこまで息子である小熊英二氏の意図があるのか、
英二氏は繰り返しそれまでのシベリア抑留記が「一定以上の階層のインテリによって語られたもの」と綴り
「普通の人々の声」のひとつであると謙二氏の言葉を残している。
おそらく、戦前の謙二氏の家庭環境を丁寧に追ったのは、謙二氏の年齢としては恵まれた学歴である「早実出身者」の内実を
きちんと書いておきたかったためなのだろう。
学歴がなく悔しい思いをしながら働く上の兄弟の意向があって学校に入った、
もし戦争がなかったなら、それなりに緩やかに階層上昇を望めたであろうが、戦争というのは人間の人生設計を簡単に狂わせる。
それでも謙二氏の冷静に物事を受け止め判断する能力はある程度、その受けた教育の賜物のようだ。
ただ謙二氏は「手に職がない」を痛切に何度か語り、「手に職があれば」の発想はやはり安定しているとは言いがたい家庭事情のせいか、
「教育」をそこまで重視していない、いわゆる「昔の人」という気がする。
確かに現実的にはその後の人生に今で言えばそこそこの大卒にさえ当たる当時の「旧制中学卒」はあまり役に立ってはいない。
「教育」とは生活の基盤あってこそのものなのでは、の疑問は今でも私の中にさえ、ある。
時代を超えてもこのあたりは深く考えさせられるところだ。
零落した新潟の素封家出身者である謙二氏の父親は、若いころはある程度成功してきたので「3回」も結婚をしている。
息子である謙二氏が戦後、結核になったりしたため、当時としては遅い結婚を夫と死別した子供のいる女性としたのとは対照的だ。
これは戦争のせいなのか、しっかりした生活基盤を持たない家族のせいなのか、
もし戦争さえなかったら、謙二氏の父親も祖父母も、経済的にそれほど苦労せず、謙二氏も職を全うして穏やかな人生が送れたんだろうか?
戦争は経済の基盤が脆弱な層を激しく攻撃する、謙二氏のように社会の底にまで落とされて時間をかけてでも這い上がれた人の割合はどの程度なんだろう?
戦争ではなくても未曾有の災害などで家庭を失った人に対して一番効率のいい援助とはなんだろう?
そういうことを考えてしまった。
なんにせよ、謙二氏のその後半人生は、配偶者と死別されたものの、一人息子がこのような本を出してくれるのだから幸せなんじゃないか。
孫の運動会を少し前まで見に行っていたようなので、お元気で何より。ちなみに私の義父も元気で、スマホを使いこなす人である。
昔の人の頑健さには驚かされる、いろいろほかにも感想はあるが、とりあえず、これまで。