なぐり書き。

図書館で借りて1度読んだ本を買うことはなかったけれど小熊英二さんの「民主と愛国」は先日アマゾンで買った。
これは手元に置いておこうと、今、私が実家の父親の書庫を漁って本を見つけ出すみたいに
子供が読むことになればいいなあ、と期待している。ダーリンがあまりに本を買うので書庫から本があふれ出し、
せめて私は買うまい、と思ってたけどまともな本も子供に残さなきゃね、
(でもダーリンの書庫の本は研究者にはなかなかのもんかも)
書かれた当時に買った本は、どこかその時代のにおいがする。実家の父親の本がそう、
60年代、70年代の広告なんかがはさまれていて、ふーん、と思ったりする。
とかいいながら、「民主と愛国」、あまりに重さに気軽に外に持って出られないのでまだ読み直せていない。
6800円(だったかな?)私の持ってる本の中では最高額じゃなかろうか、読まねば、「もったいない!」
小熊英二さんが言ってたのか他の誰かだったか「戦争の記憶は一つではない」をあれから時々確認する。
と言うか、つながらなかった他人の記憶、私の感想、がその言葉で整理できた。
戦争は行った人も行かなかった人も傷つけたんだと思う。戦争はほとんどの人がいやだった。
軍に協力しながら、決して自分の息子を1人も戦争にやらなかった人もいる。
むしろ軍に協力したのは自分の子供だけは死なせるまい、と謀ったんじゃないか、
行かせないで戦争が終わったときほっとして、今度は「民主主義」をうたった、生き延びていきたいから。
でも子供は同世代が戦地に送られて帰ってきて、戦地であったことを半ば自慢げに話すのに
どこかコンプレックスを感じずにはいられなかった、
だから「あの戦争はひどい戦争だった」に大いに慰められたんじゃないか、
「行かなかった」自分を正当化できたんじゃないか。戦争に加わらなかったものとして
たぶん戦時中浴びていただろう冷たい視線を否定できたんじゃないか。
一方で、どんな田舎に住んでいても戦争にかり出す手は伸びてきて、
小さな集落の若い男達が連れ去られ、帰ってこないものもいた、
でもあの戦争は間違っていた、間違った戦争で貴重な命が簡単に奪われてしまった、
せめて「聖戦」だったと思いたい、そういう気持ちはあったと思う。
帰ってこなかったひと、1人1人に墓を作って無念をいつまでも残そうとする、戦争はすべて愚かだと、
その無言の抗議に心うたれる。どれほど人々が静かに悲しんだことか。
沖縄では集団自決の「軍の強制」の記述の削除を巡って集会があった。
「強制」なくして、人は簡単に死ぬことは出来ないと思う、とことんまで心理的に追い詰められなければ
集団的に死のうとすると私には思えない。私は「軍の強制」はあったと信じる。
それにしても人とは簡単に扇動されてしまう。本当に、自分自身も含めてそう思う。
一時期、子供達の連れさりや、殺人が相次いで、「子供達を守ろう!」のかけ声の下に
「パトロール隊」が鼻息荒くどこででも結成されたが、少なくとも私の知る限り、
そのパトロール隊が引き起こした一悶着の方がやっかいだった。
「守る」の正義の言葉の元に、他人の家のプライバシーに踏み込む人間も少なからずいたのだから。
(悪気がないのはわかるんだけどね、、)
でもあの盛り上がりの時、本来それほどでもないのに、「なにかないか、なにかないか」と
ちょっとしたことでも大げさに騒ぎ立てる、生け贄を探して。
ああ、こうやって、虐殺っておこるんだろうな、と感じた。
もう日本は戦争なんかしない、って信じることは間違いだと思う、あんなに簡単に人って扇動されるんだものね、、
日常の何気ないことであれこれ考えることが出来て、自制する人たちが一握りいる、
でもその姿をあざ笑うことで自分がより高い位置にあるように信じる人間が無数にいる、ネットの中でも。
光がなければ鏡には何も映らない、
「知性」の光が射さない人間にはそこに鏡があっても鏡が何であるかさえわからない。
もちろん映った姿を自分のものとは思わない、
「げす」って言葉を使う人間の浅はかさを私は先日しみじみ確認した。
彼はアホやねえ、彼の「げす」という言葉はむしろほめ言葉ですよ、彼と同類にはなりたくないものね。
いやはや、つい、そういうオチで終わらせてしまう、私もほんまアホ。
今日は実家の父までもが病院で検査、母は帰ってくることになったんだけどね。
「民主と愛国」読み直す日は遠い、、
今月の「論座」で小熊さんが何か書いてるみたい、本屋に行けたら買ってこよう。
昨日の運動会は雨で中断があったりして大変でした。