腰痛雑談。

検索記録で小熊英二「民主と愛国」の読書記録を幾つか読ませてもらう、ふーん、小熊さんの視線を
「神のような」とか「戦後は終わった」って感じ取る人がいるのか、大層平静で、優しさのこもるまなざしだと
私は思ったんだけどな(神だから?)、それから私は戦後なんて終わってない、と思った、
これはやはり世代の違いなのかなー、小熊さんより私より遥かに上の世代の方の感想だったし。
私は論理的に書くより思いついたまましか書けないので、その細い蜘蛛の糸のような、感じたものを
手繰り寄せて言葉にするのは相当デリケートな作業になる。少しでも他の邪念みたいなもんが入ってくると
とたんに書けなくなる、丸山真男に対する私の憧れとこれだけのモノを書いた小熊英二に対する尊敬と、
そういうものを私なりにあらわそうとすると普段罵倒芸しかやってない私はかなりの努力を
自分に強いなければいけない。細切れにしか時間のない人間にとって本当に大変なんですよ、
もちろん頭が弱いってのもありますが。あんなにしっかりと言葉を選んで物事を伝えようとする丸山真男にも、
やはり自己嫌悪と言うか、許しがたい自分という存在があったのかと思うと、その苦悩は
はかり知れなかったと感じる。自分がいかに特別な存在であるかよく知っている人だと私は思っていたから、
もちろんその自負は当然のものだと思ってたけど、そういう「知性」が自分にはある、
とはっきり認識していた人がやはり、戦争時の自分に言い知れない軽蔑の念を抱いていたとは、
やはり究極にはナルシシズムみたいなもんがあったのかね。戦時期の自分のしたことで堪え難く思ってたものの
具体例をちゃんと書いておいてほしかったなあ、あとの世代のためにも必要なことだったのに。
何をやった自分が一体許しがたかったか、知りたかった、私は小熊さんと違って女であるので女の目で見て、
どう評価したか書いてみたかった、戦後遥かあとに生まれて享楽的に生きる選択肢も示された経験のある私にとって、
厳しく内省的な思想家の苦しみはきっとわからない、間違いなく憎まれた一般大衆の一部の人間ではあるけれど、
「先生、それは忘れていいことですよ」と笑って言ってあげるのに、それでも、こんな他人に理解も求めることなく、
自分を許すこともなく、痛みをかかえて逝く世代がいたのだとよく覚えておかなければいけない。
夏の自由研究で子供に戦争を知っている人たちに質問させて、それぞれ60代後半(女)70代前半(男)、
70代後半(女)、80代前半(男)に子供達で考えた質問をぶつけてみて一番言葉を選んで
インタビューに時間がかかったのは80代前半の終戦時丁度二十歳の人だった。
当時まだ子供だったあとの3人は大喜びで「あんなこともあった」「こんなこともあった」と
山のように無邪気に話してくれたのに、つらい記憶を絞り出すように話す、大正末年生まれの男性の心の傷を
目の当たりにして申し訳なく思った。子供にとっても印象的だったようで「話すのがすごく大変そうだったね」
と自由研究の結論にもそれを書いて校長先生にわざわざ呼ばれてほめられたようだ。
子供の質問は無邪気で克つ、的を射ていた。「戦争中、何が一番嫌でしたか」とか
「戦争が終わった時どう思いましたか」とか、それぞれ年代によって言うことが違ってたのが私には面白かった。
現在80代の男性にとって戦時下で一番辛かったのは「娯楽がなかった」ことだそうだ。
これはわりに言葉としてはふわっとでてきていた、昔の地元の繁華街の様子などをよく知ってる人で
芸者の置き屋がどこにあって芝居小屋の周りの気配とかを楽しそうに語ってくれたことがあるので
本当に心からそういった雰囲気が消えたことを一番惜しんだんだろう、やはり戦争は哀しい、と思った。
腰痛は大分治った。「若く見えても、もう年やのー」と笑った身内の言葉の前半部分だけ採用しておく。
なんでか背中がちょっと痛い。とほほ。