雑談癖、つく。

お気に入りの人が紹介している記事を読む。「、、、はガセとは嘘?」てな内容で
「最近の若いもんはなっとらん、と昔からいわれてる、とは出典が怪しいのでは」とあって、ふむふむと思う。
私はエジプトのピラミッドの落書きで「給料は安いし子供は言うことをきかん」なんて落書きがある、を
どこかで読んでそれを信じてたけど、それは自分と照らし合わせて納得できるってことだけなのかもしれんなあ。
最近は「メディアリテラシー」なんて言葉がはやっていてネット内でどこででもよく見かけるが、
その言葉の定義がどうも「私が気に入らない記事はどれも嘘よ」で、使うことをためらう。
メディアリテラシー」とは大手に当てはめられることが多く、一番人気は朝日新聞で、
ふぅぅぅん、まあそういうところもあるわな、とは思うものの、「メディアリテラシー」と書いておけば
自分の気ままな嗜好が正当化されるような、そういう呪文的言葉の使い方はどうもなあ。
ところで諏訪クリニックの先生、またやってますな、この方は私が子供を持った頃もあれこれやってる人でした。
もうお約束、ってことかね、不妊治療はものすごく発達していて今や性別でさえ選べる時代だから
さて、この先、法律はどうなるのか、面白いと思ってみている。
私でもアメリカで代理出産させてかえってきた人を知ってるしね、その当時はそこまでやるか、と思ったものの、
もうこれは歯止めがきかないのだなあと今は考えている。とことん行き着くまで行くんだよね。
うちの場合ダーリンが直系の男子の一人っ子なので私が男の子を産まなきゃいけなかったんで、
またダーリンパパからは「金は出すから産み分けの治療をしてくれんか」と言われたけど
親不孝者でごめん、却下した。3人目を産むのはいいけど、男の子が欲しいから産む、ってのは
どうも受け入れがたい。それは違うだろう、と思うことが正しいとは信じてないが、
どこかで区切りをつけようと思った。男の子は欲しいけどそれは諦めるって、
もし偶然に授かって生まれたのが男の子ならそれは意外な有り難さでそういうのを待ってもいいな、
と思ってたら子供は二人のまんまだ。ま、それも、成り行き、仕方がない。
私は根性がないんでそれで終わらせるけど、いや、どうしても、の人をいけない、とは言えない。
選択の基準が違うだけのことだし。
不妊治療のトホホは本当に沢山聞いた。中でも最も印象深いのはこんな話だ。
10年以上前、旦那さんとその家族が不妊治療は女だけがすればいいと思いこんでいて、
友達が何軒もクリニックを回った挙げ句とうとう大学病院まで行って
(当時まだ少なかった個人不妊治療クリニックでも旦那さんを一度連れてきなさい、と必ず言われていた。
あるクリニックが大学病院に紹介状を書いた)嫌がる旦那さんを連れていって、
旦那さんが非常に珍しい「無精子症」であることがわかって大学に喜ばれた(?)そうだ。
普通「無精子症」と言っても数が非常に少ないとか、元気がない、とかが多いんだけど、その旦那さんの場合
何度やっても全く見つからなかったんだって、過去の病歴、とかあれこれきかれたけど旦那さんはぼう然自失、
病院で座り込んで立つことも出来なかったらしい。その後大学からは「被験者」になって治療しませんか、
新しい治療法が開発されました、って言ってくるそうだがもう行かない。
友達のえらいとこは、いったん離婚も考えたけど、もし自分が子供が出来ないからと離婚されたら
いやだったから自分もしない、と決めたことだ。子供が大好きな人なんだけどね。
精子バンクも紹介すると言われて旦那さんも妻が産む子供だったら自分の子だから好きにしていいと言ったけど
してない。そういう判断はすごいと思う。示される選択肢で何を選ぶか、それで何がわかるかと言えば
せいぜいその人と自分の相性程度ではあるけれどやはり大事なことだと思っている。
入ってきた情報が嘘か否か、それを判断するのもやはり選択、と言える。
選択、と言うより、博打、かな?あたらなければ、ハイそれまでよ、ってか?