雑記。

シノドスの対談が最終回になって、ブクマを見ると、やたら小熊さんに感心しているものが多い気がして、
はて、やはり3/11の影響はこんなところにもあるんじゃないか、と首をかしげる
小熊さんにしては、ありきたりの大人の意見であったなあ、の印象が私には強い。
初っぱなの「私はこういう書き方は嫌いです」には、これは小熊さんが言われ続けてきたことではないかな、などと、
つか、自分の「感覚」を頼りに読み、書く、がなければ「民主と愛国」はなかったんじゃないか、とわたしは思うんだよなあ。
小熊さん自身が自分の好き嫌いをある程度優先しつつ読み解いている印象が私にはあって、たとえば「民主と愛国」の流れから抜き取った
清水幾太郎」を分冊(?)にしたものを読んだんだけど、正確に書かれているのだとは思ったものの、視線の冷たさ、はかなり個人的感情が表れているような、
冷たさと言えば吉本隆明に対しても相当辛口な、それが面白かったりするけれど、スタイル的には古市氏の書き方を批判できる立場であるかどうか
書いたあとに寝込んだ、との「1968」が私的には少々がっかりな出来であったがあるかな?こう考えてしまうのは。
批判を浴びた田中美津自身からの当然の反論など、ちょっと急ぎすぎた残念な作品だったなあ、「1968」は。
それが出される以前のインタビューで、確か「明治前後からの思想の流れを追う」と言われていた気がしたので、
私は「1968」はそういう作品だとばかり思っていたので、そうではなかったのが、なんだかなあ、と、評価できないのかもしれない。
つか、村上春樹の「1986」の発行に無理矢理あわせたんじゃないか、なんて勘ぐってしまったわ、
もうちょっと時間をかけて、資料をもっと削いでも良かった気がする、面白かったけどね。
「民主と愛国」を越えるのはむずかしいかな。
小熊さんは脳梗塞でも起こしたか、1年も病気療養するとは、40過ぎたら、無理をしちゃいけませんな。
「いつまでも若いつもりでいると、、」的な説教はご自身に向けてもいるような気がした私。年ですなあ、、、