雑記。

ネットで山口某氏と橋下某市長が対談(?)をして、山口某氏が「負けた」との話をちらりと読んで、思い出したことをメモ。
理系特別科にいた上の娘は高3で文転し、現在文系学部に所属していて、周囲のことをときどきぼやく。
それは「みんな無益な議論をしすぎる」で、
「理系の人間は、いったん「結論」が出たら、その結論を認めてそこから先に進んでいくんだけど、文系の人間はいつまでもその「結論」を認めようとしない。
理系の人間は「結論」が何らかの実験「結果」であって、その「結果」を認めないと次の段階に進めないってことがわかっているからだろうけど、
文系の人間は、いったん「結論」が出ても、それを認めようとしない、たとえば「現実」がどうであっても「言葉」でその「現実」をひっくり返せると思ってる」と、
なるほど、そういうことに1年足らずで気がついた君はやはり賢いなあ。「文系の論文の書き方と理系の論文の書き方が違うから、困る」とぶつぶつ言ってるが。
「結果」を重視する理系感覚を持つ娘にとっては、いつまでも同じことを結論出さずにごちゃごちゃ言ってる文系的「議論」がうっとうしくてならないらしく
「そりゃ、国会が進展しないはずだわ」などと、うがったことを言ったりする、
確かに文系の人間が「結論」をなかなか出さない、と言うか「結論」を「出した方が負け」的な感覚を持つな、そこが私も文系的な人間にうんざりする点でもある。
ま、私も文系ど真ん中な人間なんですけど。
文系的「議論」で圧倒的な真実は「ヒマな方が必ず勝つ」で、つまり時間をかけられる方が「論戦」なるものには確実に「勝てる」んだよね、
これは能力のあるなしに関係なく、言葉の「魔法」とはそういうところにあるわけで、これを知っておかないと、「正しいほうが勝つ、はず」では決して「勝てない」。
ましてや、時間の限られている場面では、その時間を圧縮する方法を知っている人間が「勝つ」のは「当たり前」、
「対談」を私は見ていないし、その結果を批判するつもりはないけれど、負けた方がなんとなく相手をはじめからなめてかかっていた、
その態度そのものが見ていた側の反発を買ったという気もする。
なんにせよ、腹が立つなら「見ない」というのもひとつの手なので、それを学べばいいんだけど、やはり見たがる、そこにつけ込まれるだろうなあ、、
時々、かつてジェンダー関係の書籍を図書館から一斉撤去したとのうわさがあった福井県は定職者率、結婚率、出産率、が高く、もっとも県民幸福度が高い、
と言う「現実」を橋下某市長の話を聞く度、何故か思い出す。現実は、言葉では語りきれない結果を出すことがあるよなあ、、、