最近の読書、(か?)

水谷三公丸山真男ーある時代の肖像」を数ページ読んで早くも「オヤジ臭」にうんざり。
「ちくま」だからあんまり無茶は書いてないんだろうがこの「できるオレ様が語る、それほどでもない丸山真男、ふ」
って感じ、いやぁな気がしたんでアマゾンの書評を見ると「そんなものより丸山真男「本体」を読め!」
と誠にごもっともな意見が書いてあって、なるほど、まあ他の書評も読む限りこの水谷先生の芸風は
「くどい」につきるようだ、読むんだけどね。
もう1冊、長谷川宏丸山真男をどう読むか」も借りててぱらりと読んだ限り
なんか「丸山真男」に怨念たっぷし、みたいな、なんとまあ「丸山真男」の「名前」の不幸なことよ!
なんなんだろう、この別れた女(男?)に恨みつらみを語る語る、的な奇妙な熱情、世の中には
「おかしな人を引き付ける才能」ってのがあるからねえ、相当気の毒な人だったろうな、丸山真男
とか言って、私もそうなんだけど。
オヤジの書き方の「くせ」みたいなもんの「ウザ」さをクリヤーして読み切れるのかしら、
つくづく小熊さんの書き方はさっぱりしてていい。「清水幾太郎」はあっさり読めた。
「清水君って、かわいそー」が感想、小熊さんが清水幾太郎を嫌いであっても
読む側も嫌いになるような書き方ではないので、私は清水幾太郎は気の毒な人だったんだなあ、と思う。
そのへんにいる「フツー」のオヤジじゃないか、「嗚呼、オレはこれにまた裏切られた」「今度はこっちだ」
「いや、やっぱり違った」「嗚呼、この世にオレの居場所はないのかー!!!!」と、
少々感情の起伏の激しい可愛らしいオヤジ、でも、書く才能があったのが不幸だったのか、
それで喰ってかなきゃいけないんだもん、仕方がないよなー、、(って何が)
ネットでふらふらあちこちかじるンでどこかで拾ったことかもしれんけど、小林よしのりのイメージに重なるなあ、
(小熊さんがどっかで書いてたっけ?)私はあんまりよしりんは嫌いじゃない、「東大一直線」とか楽しく読んだし。
今はすっかりあっちの人になって面白くなくなったんで読んでないけど、
少なくともまともな漫画家(だった)し、真面目な人だと思う。
でもなあ、政治系に走っちゃったのは、結局、漫画の「ネタ切れ」なんだろうなあ。
政治や時事に手を出せばとりあえずネタに困ることってないもんね、「消えた漫画家」にならずに済む。
「表現する」って大変なことなんだろう、「宗教」に走る一世を風靡した漫画家って多いらしいし。
よしりんの政治漫画に惹かれる人が多いのはやはりよしりんが真面目に「漫画家」してるせいもあるんじゃないのかな、
わかりやすい、もあるだろうけど。
やっぱりここは、左派系の方々も漫画家を取り込んで思想化をはかってみる、と言うのはいかがでしょう、
Death Note」の人とか、あの漫画は難しかったのに売れたんだからわかる人が多かった、
あれがわかるんならこむずかしい考え方も意外に浸透するんじゃないか、なんちゃって。
清水幾太郎がどんな人だったのか、私はある人の真実の姿を人に伝えることができるのはその人を本当に理解し、
心から愛した人だけではないか、と思うので小熊さんが書いただけの人ではないと考えてる。
でもある一面はきちんと描けてるんじゃないのかな、小熊さんの書き方は不公平ではない。
吉本隆明も悪く思えなかったし、ついこのあいだ、吉本隆明の食に関するエッセイをぱらっと読んで、
可愛らしいオヤジさんじゃないか、と許せない感じじゃないなあ。私はある種のオヤジに弱い。おばはンだもの。
丸山真男にいたるまでの道のりは遠い。だって基礎教養にかけるんだもん、ふ。