ブクマを拾い読む。

ブクマで「ぼやきくっくり」が随分数を集めてたんで読んでみた。
ふーん、この記事の真偽はとりあえず置くにしてもここのコメント欄にあった
「広島や長崎に原爆を落としてもらったから戦争が終わった、と教わった」ってのは本当か?
この「くっくり」とか言う人、一時期私が鬱憤ばらしに政治ブログランキングに遊びに行ってた頃、
確か上のランクにいた人で関西圏に済む主婦なんだそうだが、その設定はともかくも、
年頃は私とそれほど変わらない印象だったんだけど、関西圏では本当にそんな教え方をしてたとこがあったんか?
私は広島に修学旅行に行って「過ちは犯しません」と「反戦反核」をそれなりに教えてもらったんだけどなあ、
アメリカでは核を正当化するためにそういう教え方する、とかなり大人になってから知ったような。
くっくりさんがどんな先生に教わったのか、もし本当だったとしたらかなり珍しい先生に教わったって事で、
私は到底こんなことが一般的に教えられたとは思えない。あんまり飛ばし過ぎなような、
そういや、この人はかつては朝日新聞に騙されてた!的なことも書いてた気もするなあ、
朝日に騙され、学校の先生に騙され、本当に苦労の多い人生でございますなあ、
それでもなおかつ信じているものがいっぱいあるようで、騙されても、騙されてもそれでも信じるものを見つける、
その根性はひょっとして朝日やトンデモ先生の薫育にあったのでは、なんちゃって思う私。
私は生憎、心のそこから信じてたものってあんまりないんで、いまだに自分自身さえ信じられない始末、
くっくりさんがうらやましかったりしてね。
同じように光市の差戻審の被告の弁護団の主張も初めて見た時「おやまあ」とは思ったものの、
よく見に行く人のところで、「なんか変では?」の話しに納得した。この事件は非常にひどいし、
もし犯人が未成年じゃなかったら死刑判決がもっと早くに出てたんじゃないか、でも今弁護団ごと
「血祭りにあげろ!」ってのは違うと思う。もちろん被害者の遺族の方の事は本当に痛ましく思う。
特に常に前面に出ている好青年な被害者の夫の方をお見かけする度哀しくなる。
その今も憤りを隠せない瞳で愛する奥様とかわいいお子さんの無惨な姿をかつて見てしまったのだから。
変わらず出迎えてくれることを疑いもせず帰った家の中で。
その悲痛な経験や、もしお二人をなくさなかったら増えてたかもしれない思い出、子供達、
赤ちゃんだったお子さんが生きていたらもう小学生のはずだ、七五三、入園、入学、様々、
当たり前のようにしてあるはずだった幸せが奪われてしまったこと、許せるはずがない。
ただ、被告人が死刑になったとしても奪われた命は帰ってくるわけではない、
「特定のイデオロギーのために事件を利用されたくない」と言う本人達もまた、やはり
「特定のイデオロギー」に利用されている、「死刑廃止反対」と言いたげな世論の。
被告が死刑になることで被害者の御家族の人生の何かがはじまるだろうか?
私は、終わるだけで、何もはじまらず、もっと重い何かがかせられるんじゃないか、と感じる。
被害者の御家族の方々は本当に善良な方々であるのだから、
いつか、他人の死を望んだことの空しさを抱え込むように思う。
私はつい最近まで死刑に賛成していたので、えらそうなことは何も言えない。
日本の量刑が軽いとか、そうじゃないとか、よくわからないんだけど、ペルーの人質事件で
テロリストが見せしめの死を与えられたことに憤りながらも、日本の法律上は未成年とされた被告の極刑と
その弁護団の血祭りを望む、その矛盾をブクマから読む。
ところでフジモリ大統領をかくまってたのはくっくりさんが好きそうな曾野綾子だったりするんで、いやはや。
ほんでこの手の方の結論がどうにも私には突っ込みどころがいっぱいで、
だから私は「信じる」って事が出来ないんだなあ、、「ブサヨク」教師に教わらなかったせいかしらね?
哀しいわぁ、、、