せいかつきろく。

疲れてるんで軽口一つたたく元気もわかない。とかいいながらウインドウズになって
やっと見に行けた「小熊英二」の検索トップにくる「丸山真男像の歪曲」の感想など。
ふうん、「心の恋人を汚された!」的なお怒りだなあ、そんなに悪く書いてたっけ?
むしろあの中では好意的だったように思われたんだけど。
吉本隆明にしろ対象に深い思い入れのある人にはああいう書き方は受けないのか、
「おのれ、この小わっぱが!」と、
その乱れっぷりが滑稽に見えてしまって、ちょっと気の毒、「丸山真男」が。
なんでこんなに「怨念こ〜めて〜、思っていますぅ〜」の人に熱狂的に支持されたのか。
小熊さんのあの書き方でむしろ丸山真男の良さが見直されるようになったんでは、
あんまりお堅い、怖い感じの人に世間では思われてるようだし、
私は高校時代に1冊だけ読んだ本ですっかり気に入って「丸山真男が好き」と
以前うっかり言ってどん引きされた覚えがあるんで、
こういう受け取り方をみんながしてくれた方がよいかな、と思ったなあ。
人であることを許されなくなった丸山真男は私は嫌だ。
神格化されることで、どれほどその実像がゆがめられるか、
「よりどころ」になる人は気の毒だ、「生け贄」と変わりないのだから。
小熊さんの本のこともあって、私は丸山真男を真剣にもっと読んでみようと思ったのだけれど。
でも最近全然本が読めなくなって丸山真男も読めないままだ。秋が待たれる。
先日夏祭りに上の子がお友達みんなで浴衣を着ていく約束をして四苦八苦して着付けた。
中学生の女の子が浴衣姿でバス停に集まってお祭りに行く姿はかわいかった。
ただ浴衣の丈を短めに着付けたので、娘だけちょっと幼い印象になって、失敗。
みんな、お姉さんらしくしとやかに長めに着付けてた、最近のトレンドを
もっと勉強しておくべきだったと反省。
でもいまの子は浴衣を着たがったりして私の時とは大違い、
私が子供の頃はそういうことに抵抗感があったなあ、
なんで着物なんか着なくちゃいけないの?みたいな。
胸元にブローチ付けたり、帯に根付けを挟んだり、浴衣を楽しんで着ている今どきの子はいいなあ。
しゃなしゃなと6人連れで行ったにもかかわらずやってきたことは食べることだけ、
高校生になった剣道部の先輩(男)とすれ違ったのに声がかけられなかった娘、
ちょっと気に入ってる子だったのに(私も)、恥ずかしかったと、ああ、青春。
「すごく背が高くなってた」って、なんで浴衣姿を見せびらかせんかねえ、チャーンス!なのに。
ベビーカステラなんか食ってる場合じゃねえ!とならないのが田舎の中学生。まあ、こんなもん。
浴衣姿は本当にかわいかった、意外にみんな古いお下がりを着ていてたのがまたよかった。
私は背が高いんで、娘に私の浴衣は着せられなかった、去年バーゲンで買っておいたもの。
ちゃんと仕立てたものじゃないからちょっと安っぽかったかなあ、
来年は背が同じくらいのパパ側のおばあちゃんのお下がりを着る予定。
下の子は外で遊びまくって、前も後ろもわからんくらい真っ黒。それでもまださらに遊ぶ、
この世の中には同じ年で過酷なお受験をする子もいるというのに。
優等生のお姉ちゃんは早々に宿題を仕上げたのに下の子はやっと自由研究に取りかかった。
自由研究って(親が)「自由」(にお手伝いする)「研究」ですから。
珍しく自分でする、と言うけど。
夏祭りが終わると熱くてももう秋だなあ、の気配。(気のせいか)
下の子に読書感想文の本を読まさないと、、、(涙)
ところでネット上で遊びに行ったところがお盆なのにえらく暗い。
馬鹿は馬鹿のまんまで幸せなんで馬鹿がなおる見込みはないかもしれないけど、
いつか素直な馬鹿になるかもしれんよ、語りかけ続ければ。
でも呼びかけは、反応を求めてするモンじゃないかもしれないね。