水増し読書日記(?)

スパゲッティー好きの人から某所で「水」に関する揉め事があったらしいのを知る。
私は実家の母親から「なんとか」水を飲め、と言われて胃が痛くなったよ、「水」も怖いね。
スパゲッティーのレシピに関してはトマトと生クリームの組み合わせは好き嫌いがあるかなあ、と。
両方のソースにあう魚介の「蟹」缶がはいると違うのかな?やってみようかな。
私の中でスパゲッティー好きの人と同グループに入れている人が高校時代「ノビー」にはまった、と書いていて
恐るべし、「ノビー」、いたいけなオトコゴコロをつかむどのような「魔力」が!オトコ「ハーレクインロマンス」なのか。
これは後学のために読んでみなければ。
というわけで(?)「読書日記」。丸山真男 「自由について 七つの問答」 聞き手 鶴見俊輔 北沢恒彦 塩沢由典
本当は全集を借りようとして図書館に行ったんだけど、あらら、勝手に手がいかめしいハードカバーからずれて
読みやすそうなペーパーバックへと伸びていく、、、(へたれ)。
印象に残ったのはジョージオーウェルの「カタロニア賛歌」が酷評だった理由がわかったこと。
オーウェルは多分ディケンズがらみで読み始めて「1984」も「カタロニア」も面白かった。
「カタロニア」の何が悪かったのか、私にはわからなかったので、そう言う理由か、と。
それはそうと「1984」は同時期にブラッドベリ「華氏451度」を読んでたんで、ストーリーがごっちゃになってる気が。
ああ、恐ろしい。本当に読書感想文は必要だわ。
他に「梅原猛」のことを聞かれて、「脱線」として
「このことが書いてない、と言われたってね、それが大事なことはわかってるけどここでは別のことを書きたいんだと、
そういう著者の意図を無視した書評が実に多いんです」と、おお、丸山先生、「負けず嫌い」な反応を。(ごもっともなんですが)
この反発が後書きでも取り上げられていて面白い。
こういうところが「対談」を読む楽しみだ。偉人の話す、その様子が生き生きと伝わってくる気がする。
自分の業績、と言うか、「考え」を現在どのようにつなげて、整理してきたか、本人が語るのは大切だ。
知識や経験が蓄積されるとどのように考え方を変えていくのか、と言うより「考え」の「表し方」を変えていくのか、興味深く思う。
ふらふら「考え」そのものを変える人もいるが、「考え」そのものは変えずにその「結論」への接近方法を変えるというか、
何を「考え」どう生きるべきか、社会がどうあるべきか、人にそれをどのように伝えれば理解されるか、
苦闘し続けた「跡」が見えてくるようだ。
人が人として人のために考え続けてくれてきたこと、同じように悩んだり迷ったりしながらよりよい結論に向かおうとしたこと、
それを無駄にせず理解するために、同じようにではなくてもある程度努力しなければいけないと言うこと、
色々水ぶくれの頭で考える、やはり全集を読もう、と思った。この人は本当に偉人だ。
鶴見俊輔さんが最後に、丸山真男の思い出を書いていてそのエピソードは何度か読んだものだけれど、
鶴見さんは丸山真男の人間らしい一面、より優しい豊かな「人間」である丸山真男にふれて欲しいと考えられているのだろう。
巨人でも虚像でもない「普通の人」としての「丸山真男」を感じ取って欲しいのだと思う。
でも鶴見俊輔さん自身も「偉人」だ。「偉人」が「偉人」のことを「普通」というのは「普通」のことであって、
「普通の人間」の「普通」とは違う。それだけでもわかっておくべきだ。
だから私は今でも「ひっぱたきたい」人が嫌い。あれはやはり「馬鹿ったれ」だ。
その辺のことはまた後日。昨日は少々弱っていたが痛みの余波が引くとすっかり元気。明日はにんじんの話を。