雑談。

てなわけで「小田実」を借りてくる。(なんのこっちゃ)
イヤー、本当はお勧めの清水幾太郎を借りにいったんだけど書庫に入ってる上に上下巻で文春文庫、
都合よく週刊文春に腹を立ててたことを思い出す。「家畜化する子供達」、アホンダラァ、
テメーんとこの本なんか読んでやるもんか!キィキィ、と、実は長そうなんで敬遠しただけ、
ごめんね、そのうち必ず、今、私生活でお出かけが多くてあんまり本が読めないんで。
このあいだ朝日新聞に闘病中の小田実さんの記事があって、この方を一回読んでみたかったのを思い出したんで
「随論、日本人の精神」を借りた。小田さんは棚にいっぱいあったのに、清水幾太郎は全部書庫だったんで
ひゅるるる、、このへんじゃ人気がないんかねえ、そんなもんなんかねえ、、
可哀想なんでやっぱりヒマになったら書庫から虫干しに出してあげるね。
小田実さんの記事の横がうちの地区では安倍総理夫妻の地球温暖化のキャンペーン、「電球、換えな」で、
いつから総理夫妻は松下に雇われたんかと一瞬思ってしまったよ、
「ナショナル!」って、そこまで「ナショナリズム」が好きなんかと。
朝日ももうちょっと広告の入れ方考えたらいいのに、「平和憲法を守ろう」の人が闘病中で、
それでもがんばってる姿の横で、アホ面総理がお間抜けに電球変えてるポーズなんてホンマ、センス疑う。
むかつき、倍増(当社比)、こんな広告だして血税使ってンじゃねえよ、けっ。
小熊英二さんの「民主と愛国」上野千鶴子さん、鶴見俊輔さんとの対談集「戦争の遺したもの」
で初めてその存在を知って、なんかいい感じの人だなあ、と記事にあった言葉を読んでも熱い人っぽいなあ、
と期待してる。「丸山真男ネタネタ評論」に飽きてたんで、いいかな。
以前、小熊さんの「民主と愛国」を読んで感想を書きかけて、その時教えてもらったrssで、
「戦争の遺したもの」をあんまりよく取り上げてくれてなかったんでむぅ、となったことを思い出す。
よく御存じの人にはつまらない本かもしれないんだけど、ど素人の基礎教養に全くかけてるおばはンにとっては
あれは大変いい本でした。確かに今まで出してきたネタを繰り返してるだけなんだろうけど、
だっておんなじ人なんだもん、それぞれ言うことかえてる方が変だ。
それに同じ本を読んでも拾うネタは全く違う。私がもっとも印象的だったのは鶴見さんが
「小学校しか出てない人とは結婚できないと思った」で、私はこれを読んで、鶴見さんは信用できる人だと思った。
これを読んだ時にはなんでこの言葉が私の中で残るのか自分でもよくわからなかったんだけど、
今、ああ、鶴見さんはこういう風に女性をかばう、最後の男性なんだなあと、
つまり、その女性にはどうしようも出来なかった学歴のことをあげて、女性自身が悪かったわけじゃない、
そして学歴程度が乗り越えられなかった男だ、と自分を貶めて相手をかばってる、
本当は、その女性の性格的な何かが好きになれなかったかもしれないのに、この言い方をしていれば
女性は少しも傷つかない、こういう深い優しさを見せる男性は本当にいなくなったなあ。
鶴見さんは自分が馬鹿だったこともみんな包み隠さず書残す人に悪い人はいない、と
対談集の中でもおっしゃっていて、それに私も同意する。吉本隆明にしても清水幾太郎にしても、
小熊さんが拾っていくかけらを自己矛盾したものであっても、ちゃんと落としてる、
それは時代を生きた断片を後世に遺す、意味ある行為だ。そのかけらで全てが見えるとは限らなくても
また別のかけらとなって他の誰かが拾っていく、時代から離れて初めて本当の何かが見えるんじゃないか、
最近戦争のかけらを拾う日記を読みながら私はそう思う。森に迷ったヘンゼルとグレーテルのパンのかけらみたいだと、
でも必ず誰かが点々と落としていくんだなあ、とだから私も日記をつける。
すごくつまらんことしか書かんし、残るかどうかわからんのだけど、もっと先の誰かが何かを探す時、
手がかりになればいいなあ、とちょっと思う。
本を読むのは誰かのかけらを拾い集めたいからなんだろうなあ、それで何ができるかはわからんけど。
でも忙しい、日常には波がある、、、(涙)
追記;今見たら「家畜化する、、」は「週刊文春」じゃなく「文藝春秋」だったわ、ホホホ、ごめんなさい。
結局「文春文庫」ってどこの出版社なんじゃー!(あとでちゃんと調べます)