色々あるのです。

母方の墓のある田舎は実は昔ダーリンが住んでいて私が通い妻をやってた時期に利用した
JRの赤字線の思いっきり果てにある。15年以上も前のことを鈍行に乗ってふと思い出したり。
法事はつつがなく終わり、戦死した祖父の墓がそこから出征して戦死した人たちと一緒に
別のお墓の一群の中にあるのを確認。そうだったか、たぶんここのどの墓も空っぽ、
うちのじいちゃんも骨のかけらも戻ってないし。転勤して行った田舎にも、
そこから出征して戦死した人たちのお墓が固まってあったなあ、そういうモンだったのかな。
私は県庁所在地に住んでいて東京でも北海道でも飛行機ですぐ遊びに行けるが、県内の奥地には数時間かかる。
高知に住んでたとき、足摺岬に行くのにものすごく時間がかかったことも思い出した。
(思い出してばっかり、年寄り臭いな)
地方の僻地の現状を遠い親戚がため息混じりに話してくれたり。
自治体の合併合併で、ものすごく苦労していると。
暗い気分になって鈍行に再び乗って帰ってきたが、今の子供はかわいそう、これからどうなるんだろう、
の考え方に最近、違和感を感じるようになってきた。
つい、自分の若い時代と比べて今の子供が不幸なように思うのだけれど私は思春期を過ごした80年代って
今から思うと相当危うい猥雑感にあふれた時代だったような。
未来はバラ色に見えてたけれど、その根拠となるものはほとんどなかった。
不安定な思春期だったからよりいろんなものに不安を覚えていたのかもしれないが、
私はあんまりあの頃お気楽に未来を信じられないでいた。他の人の未来はバラ色かもしれない、
でも私のはそうだとは思えない、そういう疎外感を抱いて、でも人にはあわせてしまう、若いムスメの私。
今の時代の閉塞感を語る人たちはほぼ私と同年代、あの、20年以上昔の「時代」の「雰囲気」を
知ってる世代がそれと比べて「今の子供は、、」云々と言ってる気がする。
子供が減っているので、どこもかしこも「すかすか」の感触だけど、
それが今の子供には「当たり前」なんだよな。そして未来がバラ色だなんて子供達は夢見てもいない。
でもそんな世の中でも生きていかなきゃいけない、は知ってる。これって「不幸」なのかな。
根拠は全くないのに「約束」されているかのように「バラ色の未来」を信じこまされるより、
これからどうなるのかわからないことだけでも知ってる今の若い世代の方が賢明で、幸せかも、
と、思ってしまう。少なくとも私は若い頃、馬鹿でしたからね、
あーすみません、今でもそうです。ちなみに、私は自分で馬鹿と言ったくせに馬鹿と言われて怒った、
なんて書かれてますけど、怒ってません。あんな曲解と詭弁を尽くしたリンク先からまだ人が来るわ、毎日、腹立つ。)
でも今の若い世代は私の若い頃よりはずっと聡明ですね、少なくとも二十歳そこそこの子は。
若さの照れをごまかす痛さはそれほど昔とかわりはないけど、人間って少しづつ進化してるような。
だから今の子供はどうなるんだろう?ってのは余計なお世話なのかも。
国の借金は出来るだけ減らしてやりたいと思ってるけど。
80年代的価値観や、時代の記憶を今の子供に押しつけてもなんだかとんちんかん。
同じ時代を生きているのに私と私の娘は感じ取り方が違う。
それって何故だろう、と考えて何を知ってて、何を知らないか、がお互いにあるような気がしている。
私が知ってて、娘が知らない、私が知らなくて、娘が知ってる、
これがこれから成長していく人間と年老いていく人間の違いかな。
うまく言えないな、考えていることがもう少し整理できたらまた書こう。
「今」しか知らない子供は時代に閉塞感を案外感じてなさそうな。
うちの子だけか?かつて私が、みんなが漠然と期待している未来を全く信じてなかったように。
いや、なんか、「これからの子供はどうなってしまうんだろう?」とまるで不幸になるしかない、的な話を
聞かされてしまったんで(これには「根拠」があるんだよな、、)ちょっと自分を励ましたりして。
田舎はどこも大変よ、、、そういうことでした。
小雨の中、運動会はあるようで、行ってきます。