ありがとう。(私信です)

「妹」よりこの上ない優しいお言葉をいただく。(と、勝手に自分のことだと思いこむ。)
なんかまだばたばたしてるんで、どう自分の感情が対応しているやら、
とりあえずしなくちゃいけないことを機械的にこなしている状態で、両親や、兄弟に
「イラッ」と絶対来てるはずなんだけどあんまりよくわからない。
ただ、男は駄目だなあと、もう妻においていかれるかもしれない恐怖に右往左往してしまって
それが「愛」なのかどうなのか、娘にはわかりませんが、母の体は思ったより悪くはない、と
わかってきたのと、普段没交渉な子供達とご親戚にあったりして気が紛れて
ほっとして、自分の体にかまう暇が出来た、、、ってかんじなのです。ご心配いただいて本当にありがとう。
上の方はこのあいだ伯父のことで帰ってきたのと今年大学受験の子供を持っているので
(そういや、うちも高校入試の受験生いたんだったわ、忘れておった、おまけに昨日からテストだった)
当てにしても仕方がないし、下ももっと当てにならん、つか、当てにするという感覚がなかったわ。
テンションの低い兄弟関係で全く。
私たち兄弟は完全に「パワフルばあちゃん」な父方の祖母に育てられたので
実は両親のことをちょっと年の離れた「兄弟」的に受け止めているところがある。
「頼りにならんわ」でずっと来ているので、私も、兄弟も今回のばたばたも「ま、こんなもんやろ」
と冷ややかに見ていたりする。ただ、かなり早くに子供達が自立してしまったのを
両親は、寂しいと思っているところが大いにあるだろうな、と今感じている。
就職にしても結婚にしても何もかも、私たち兄弟は自分でさっさと決めて、何でもやってきて
幸いにしてお金の苦労も大学卒業後は全くと言っていいほど親にはかけていない。
もちろん、親も子供達に頼ると言うことはない、それが、どこかでつながりの薄さにつながっているのかも、と
「あの子達には私たちがいないと!」みたいな生きる「ハリ」があんまりないのが、
両親の寂しさかと、考えている。
人は誰かに必要にされないと生きていけないように私は思う。
伯父の最期を看取るのは体力的にも母にとっては大変なことだったのに、
あの暑さの中でそれがなんとか出来たのは、
伯父に、母にとってはたった1人の兄に、「必要」、とされていると信じられたから。
父親のいない、苦労の多い戦時中の家庭で母と伯父は子供時代支え合って生きてきて、
毎日、遠いところにある病院に思い詰めた顔で通う母からその悲しみが伝わって、
「育つ」時代、に関して色々考えた。やはり私の親世代の子供時代は非常に不幸だったと思う。
戦争が長きにわたって奪ったものはおそろしく多い。
なんだか、まとまらないんだけど、慰めの言葉を私とは比べものにならないほど忙しい中、書いてもらって、
本当にうれしい。
以前、友達に二人目が生まれる前に言われたことを思い出した。一人目のことも子供が必要としているほど
十分に愛しているかどうかわからないのに、二人目の子供が生まれたら、愛が半減してしまうんじゃないか、
また、二人目は上の子が一人では寂しい、とどうしてももう一人、と作ったようなモンじゃないか、
そういうのは不純ではないのか、と悶々して年子で3人産んだ友達に言うと
「愛は、半分になるモンじゃないの、子供が増えた分だけ、新しく増えるの、
子供が増えれば増えるほど愛も増えていくの、愛はいくらでもあふれてくるモンなのよ」と返ってきて
本当に、その通りだった。
ご自分も大変なのに、それでも人に手を貸そうとする、声をかける、
これが出来る人と出来ない人の違いを最近私はわかってきた気がする。何が違うのか、それはまた、いつか。
父も多分たいしたことないのよ、安心してふぅー、っとなってるだけ、(と思う)。
さて、じじババの顔を拝みに行きましょう。