「メシマズ、メシマズ」というけれど。

それを言う人の味覚が優れているか、というとまた別問題で。
私の配偶者実家は「酢」が全くダメで、義母に一度「アジの南蛮漬け」をもらったことがあったが、見事なまでに「アジの砂糖漬け」であった。
私は「酸味」好きなので私が「美味しい」と味見して作った「南蛮漬け」などは配偶者実家にとっては「激マズ」料理だろう。
故に作って出したことは一度もない。
私は「辛味」がダメで、「辛味」好き友達のおすすめの料理は、「激マズ」と言いたくなる。
関西で食にこだわる人間が太鼓判を押す店に東京からの客を連れて行ったところ、何を食べさせても「味がない!」と言われた話も聞いたことがある。
その人は「濃い味付け」でなければ「うまい」とは思えない人だったのだろう。
味覚は諸説あるが「5種」と言われ、その全方位を均等に理解できる人間はプロの料理人であっても皆無だろう。
「メシマズ!」と言いたがる人間の中には少なからず自分の味覚障害を意識していないものもいるのではないか、
「まずい!」と言いたがる人間のどの程度が「正しい味覚」を持っているか、味覚は趣味性の高いものだと思う私は大いに疑っている。
「メシマズ=不正義」であるかのごとく盛り上がるブコメを眺めてそこまで「作る」相手を責められる「根拠」が私には見当たらない。
多分責められるのは「食べる側への配慮がない」という点だろうが、「メシマズ!」と罵る側には「作った人」への配慮があるかどうか、
正直「どっちもどっち」と言いたくなる。
「メシマズ=不正義」の盛り上がりを見ていると「子供を持たないのは罪悪」の意見に似ている気がする。
「食」にこだわりのない人間を「子供」に関心のない人間に置き換えて、どちらもそこまで責めるに値するか、と考える。
美味しい食事は作れたほうがいいし、子供は持ったほうが楽しい、でもそれをしたくない人は責めてもいいのか?
私は「味にこだわる」人間のある種の「スノビズム」が嫌いなので、食にこだわりを持たない人の気持ちは多少わからないでもない。
「食」と「味覚」は実のところ、密接に関わらないように私は思っているが、それはまた別の話で、いずれ。
ところで、誰からも「料理上手」と言われる知り合いに、「マヨラー」の親戚がいて、もてなしの席に彼がいるときは味をつけない料理を用意するという。
ほかの人にはオリジナルのつけだれを数種用意し、皆が楽しめる食卓を心がけている。
「料理上手」とは相手に配慮する以上に、自分の「味覚」を他人に押し付けない人間であるように思う。