読書メモ・「熔ける 大王製紙前会長井川意高の懺悔録」

大分前に読んだんでおぼろげだが、読み始めは「ムカつくならば、この本を読め!」とさえ思ってしまった。
冒頭から博打を熱く語っているのよね、、よくまあ、この調子でやらかしちゃったこと!
ただこの人自身が書いたのか、ライターがついたのか、知らないけれど、この人の書き方は博打を書くとき時だけ熱くなる、
こりゃー、こういう「病気」だな、と読み進めていくとやや気の毒にもなってくる。元は優秀なのにねえ、、
とは言うものの、性格は相当悪い、何故か唐突に実名で芸能人のことを語りだしたり、そのくせ自分の愛人とされた「大女優(?)」は匿名でかばったり。
おばはんが、ここでぶっちゃけて言っとくわ、
「大女優」なのは若い時からあんたをハナも引っ掛けてくれなかった「宮○りえ」のほうで、
モデルなんだか元ミス・なんとかなんだかさっぱりわからない「藤原○香」ではないんで、要は「格の違う」人には相手にしてもらえなかったってことでしょ。
博打にハマった原因は、この人のこういう奇妙にひねこびた性格が原因のような気がした。
どこかに「コンプレックス」を抱え込んでいるのだよね、多分、博打に深く踏み込むきっかけは博打の場での「VIP待遇」にあったんじゃないかな、
それはもう、いたれりつくせり、というか地方企業の経営者では望めないような「もてなし」が受けられる、
それが博打に「ハマる」一つに理由でもあったように思えるんだよな。「自分は万能!」感が簡単に手に入る。
なんというか、世の中、上には上が居る、というか、上に行けばその遥か上があるのが分かるし、自分が「恵まれている」感は薄らぐ、
掻き立てられるのはただ焦燥感で、「満足」とは程遠くなる。
この井川氏も、この年齢で地方から「筑駒」に入るのは、かなりすごい(今でもすごいが)けれど、そういう「すごい」世界にはより「すごい」人がたむろっているので、
自分が無意識に培ってきたプライドがつき壊されることもあっただろう、都会には割と平気で「たかだか地方の中小企業主」的なことをいう人間がいるらしい。
そういう事を言う人間がどの程度の出来かは甚だ疑問ではあるものの、悲しいかな、地方の人間は都会にやはりコンプレックスを持ってるから、
傷つくことが多いのよね、、
とは言うものの、普通は「だからどーした」で突っぱねるものの、おぼっちゃまには難しかったんじゃないか、
なんか随所で「子供は幼稚舎から慶応に入れた」だのと、微妙な田舎臭い自慢記述が入ってくるんだな、
せっかく東京に住まわせているんだから、息子も筑駒に行かせておけよ、と思うんだが、それはない。
勉強が好きだった感がないな、この人には。
不思議なのは、本人もちらっと書いたが、父親はこの人を官僚にしていずれ政界に送り込む気だったようなのに、なぜかすぐ自社に入れてしまったこと、
本人は語らなかったが、実は学生時代にそういうコースにはとても歩ませられない事件を起こしたんじゃないか、
だから田舎の企業主の子弟によくある、自社に入る前に取引のある大手企業(だいたい銀行)に入れて、数年、顔つなぎ兼、社会勉強をさせるもやってない。
他人に預けてはとんでもないことをやらかす恐れ、大、だったんじゃないのかな。
語られていないところに、一番の問題がある気がするこの懺悔録、
謝るべきは東大生時代ヨット部で出会ったという「元妻」とその子供たちに思った。
そうそう、この人は、長女に手をあげたことがあるのを「一度だけ!」ととくとくと語っているのが何とも言えなかった。
基本的には「懺悔になってないやんか!」が随所で楽しめる妙な本だったザンス、終わり。